シチュエーション自体はフィクションなのですが、随所に自分の思い出が入っていますね。(劇中の)カルピスアイスとかも、よく作っていました。
劇中では、(僕は)あるときは真悟だし、ある時は阿部さんだし。ある時には母親に母親を重ねたりして、ポジションを変えながら、僕の実人生の中に登場してきたいろんな人たちを、イコールではないけれど、随所に少し被らせています。なので、53歳の自分もいるし、10歳の自分も入っています。
最初は、知り合いがいる所での撮影は気が引けるので他の候補地を考えたのですが、公営住宅は撮影許可が降りにくいという事情がありました。以前『空気人形』という作品でも団地を舞台にしようと思ったところ、内容にNGが出てしまい、あきらめた事があります。
今回、内容は問題なかったのですが、自治会と、撮影する棟の住民全員の許可取りをする必要があり、1人でも反対したらNGという凄く高いハードルがありました。撮影交渉をする制作部も困り果てていたので、旭が丘団地に「監督が出身で、どうしてもここで撮りたいと言っている」という口説き文句で説得してもらいました(笑)。僕は基本的にこの団地で脚本を書いているから、母親と歩く「どうだん通り」のシーンなど、実在の場所で思っていた通りの画が撮れたのは、作品にとって良い影響が多かったです。
まさに、そういうところです。母親が一人暮らしになって冷蔵庫をあまり掃除しなくなった。何をこびりつかせるかを考えて、わざと色んなものをこぼしているんです。醤油、ソース、ジャム系を、縁に垂らして、一応拭いているのですが、残っている。ああいうリアルな感じをどう出すかにこだわっていますし、台所のテーブルの上に敷かれているビニールのレース、そういうのも含めてこだわりです。
遊んではいないのですが、子どもの頃、自転車であちこち団地巡りをしていたから大体どこの公園に何があるかぐらいまでは分かります。
旭が丘団地にあった、オブジェ風の滑り台は全部撤去されてしまい残っていなかったので、わざわざタコのオブジェがある野塩団地に撮りに行ったんです。でも、これも撮影の後に撤去されてしまいました。名物だったんですけどね。
阿部さんと希林さんがバスを降りて歩いているシーンで、奥にはチューリップ公園があるのですが、以前あったチューリップの形をした滑り台は撤去されています。僕がよく遊んだ貝殻公園は更にその奥にあるのですが、そこも今は無くなってしまいました。そうした、団地も今を生きているものとして映し出そうと思っていました。
難しいなぁ…。僕もそうなのですが、阿部さんは多分、女性に囲まれて育っている気がします。小林さん、真木さん、希林さんみたいな強い女性たちを相手にして、受けの芝居が自然と、上手にできる。
――監督の作品で阿部さんがこれまで演じている役名が全部「良多」ですが、高校時代の後輩のお名前だそうですね。これだけ続いているのは、作品とのつながりがあるのですか?
「良いことが多くありますように幸せに生きて欲しい」と、親の気持ちが詰まっている「良多」という名前は気に入っています。あと後輩に申し訳ないけど、出世しそうな名前じゃない感じ(笑)、そこがいい。いい名前ですよね。
今回は「日常の中で起きることだけでやる」「日常的な言葉で書く」という制約を自分で使って書きました。僕らの人生の中でそうは殺人とかはおきないじゃない。そういったことを排除していくと、“台風”というのがすごく非日常だと思ったわけです。だから、台風の夜だったらちょっと人生の話をしてもいいかなと思って、あの母親のシーンを書きました。ただ、それ以外は「常に日常的に作る」ことを意識しましたね。
父親としても、夫としても、息子としても、こんなはずじゃなかったし、取り返しのつかないことばっかりですよ。53歳になってもこんな風だって思っていなかった。もっと成熟していると思っていました。監督になる前に思い描いていた50代の「こうなりたい」と思っていた監督と今は全く違う。誰かと比べてどうこうってことじゃないですが、それはしょうがないですよね。自分にやれることだけやろうと思っています。
あそこは男女のズレを描きました。どんどんズレが広がっていくでしょ?一瞬子供の話が出て「あ、うまくいくのかな」と思わせておいて、最終的にはこの二人が全く違うものを見ている。そういうことを話させています。
映画では、阿部さんが真木さんの膝を触っていますが、脚本では“足首を触る”ことになっていたんです。ただ、阿部さんは体の小さい真木さんの足首に触るのが威圧的だと思ったらしく、凄く躊躇していました。 “いやらしさ加減”と“笑えた方がいい”ということで悩んだ結果、膝に手をスッ!…っと伸ばしたの、笑えましたね(笑)。結果的に足首じゃなくて良かったと思いましたが、あの辺は少し悩みました。
僕が言った事を言われたままやってくれるよりは「監督、こういうの面白いんじゃないですか」って言ってくれる人を求めています。
よく映画制作のシステムは、監督がピラミッドの頂点にいて、その下に組織化された三角形がたくさんあるのですが、TV制作の現場は、比較的横並びなんです。僕はTVの出身なので、僕がカメラマンに注文をつける時もあれば、カメラマンが僕の演出にダメ出しもするし、意外とみんなで作っていく感じがある。映画を初めて作った時にびっくりしたのが、照明の人は照明のことだけにしか言わないこと。もちろんそこに責任をもつから、そのプロフェッショナルな意識に基づいた縦割りで、そのメリットはあるのですが、僕はあんまり好きじゃないんです(笑)。
今作のカメラマンはTVのドキュメンタリー出身の山崎さんで、意見もくれるし、僕もそれに対していろいろ言えるし、皆がそれぞれに意見を持っていて言い合える現場というのがだいぶ浸透してきました。録音部の鶴巻さんも「このセリフのこの一言は耳で聞くだけじゃ意味がわかりづらいんだよな」ということを言ってくれるし、そういう環境ができてきているのが凄く嬉しい。上からでも下からでもなくて、横からいろんなことを言ってもらって「じゃあ、こうしましょうか」という関係を築くことをスタッフに求めています。セクト意識みたいなものをなくした現場が理想ですね。
シチュエーション自体はフィクションなのですが、随所に自分の思い出が入っていますね。(劇中の)カルピスアイスとかも、よく作っていました。
劇中では、(僕は)あるときは真悟だし、ある時は阿部さんだし。ある時には母親に母親を重ねたりして、ポジションを変えながら、僕の実人生の中に登場してきたいろんな人たちを、イコールではないけれど、随所に少し被らせています。なので、53歳の自分もいるし、10歳の自分も入っています。
最初は、知り合いがいる所での撮影は気が引けるので他の候補地を考えたのですが、公営住宅は撮影許可が降りにくいという事情がありました。以前『空気人形』という作品でも団地を舞台にしようと思ったところ、内容にNGが出てしまい、あきらめた事があります。
今回、内容は問題なかったのですが、自治会と、撮影する棟の住民全員の許可取りをする必要があり、1人でも反対したらNGという凄く高いハードルがありました。撮影交渉をする制作部も困り果てていたので、旭が丘団地に「監督が出身で、どうしてもここで撮りたいと言っている」という口説き文句で説得してもらいました(笑)。僕は基本的にこの団地で脚本を書いているから、母親と歩く「どうだん通り」のシーンなど、実在の場所で思っていた通りの画が撮れたのは、作品にとって良い影響が多かったです。
まさに、そういうところです。母親が一人暮らしになって冷蔵庫をあまり掃除しなくなった。何をこびりつかせるかを考えて、わざと色んなものをこぼしているんです。醤油、ソース、ジャム系を、縁に垂らして、一応拭いているのですが、残っている。ああいうリアルな感じをどう出すかにこだわっていますし、台所のテーブルの上に敷かれているビニールのレース、そういうのも含めてこだわりです。
遊んではいないのですが、子どもの頃、自転車であちこち団地巡りをしていたから大体どこの公園に何があるかぐらいまでは分かります。
旭が丘団地にあった、オブジェ風の滑り台は全部撤去されてしまい残っていなかったので、わざわざタコのオブジェがある野塩団地に撮りに行ったんです。でも、これも撮影の後に撤去されてしまいました。名物だったんですけどね。
阿部さんと希林さんがバスを降りて歩いているシーンで、奥にはチューリップ公園があるのですが、以前あったチューリップの形をした滑り台は撤去されています。僕がよく遊んだ貝殻公園は更にその奥にあるのですが、そこも今は無くなってしまいました。そうした、団地も今を生きているものとして映し出そうと思っていました。
難しいなぁ…。僕もそうなのですが、阿部さんは多分、女性に囲まれて育っている気がします。小林さん、真木さん、希林さんみたいな強い女性たちを相手にして、受けの芝居が自然と、上手にできる。
――監督の作品で阿部さんがこれまで演じている役名が全部「良多」ですが、高校時代の後輩のお名前だそうですね。これだけ続いているのは、作品とのつながりがあるのですか?
「良いことが多くありますように幸せに生きて欲しい」と、親の気持ちが詰まっている「良多」という名前は気に入っています。あと後輩に申し訳ないけど、出世しそうな名前じゃない感じ(笑)、そこがいい。いい名前ですよね。
今回は「日常の中で起きることだけでやる」「日常的な言葉で書く」という制約を自分で使って書きました。僕らの人生の中でそうは殺人とかはおきないじゃない。そういったことを排除していくと、“台風”というのがすごく非日常だと思ったわけです。だから、台風の夜だったらちょっと人生の話をしてもいいかなと思って、あの母親のシーンを書きました。ただ、それ以外は「常に日常的に作る」ことを意識しましたね。
父親としても、夫としても、息子としても、こんなはずじゃなかったし、取り返しのつかないことばっかりですよ。53歳になってもこんな風だって思っていなかった。もっと成熟していると思っていました。監督になる前に思い描いていた50代の「こうなりたい」と思っていた監督と今は全く違う。誰かと比べてどうこうってことじゃないですが、それはしょうがないですよね。自分にやれることだけやろうと思っています。
あそこは男女のズレを描きました。どんどんズレが広がっていくでしょ?一瞬子供の話が出て「あ、うまくいくのかな」と思わせておいて、最終的にはこの二人が全く違うものを見ている。そういうことを話させています。
映画では、阿部さんが真木さんの膝を触っていますが、脚本では“足首を触る”ことになっていたんです。ただ、阿部さんは体の小さい真木さんの足首に触るのが威圧的だと思ったらしく、凄く躊躇していました。 “いやらしさ加減”と“笑えた方がいい”ということで悩んだ結果、膝に手をスッ!…っと伸ばしたの、笑えましたね(笑)。結果的に足首じゃなくて良かったと思いましたが、あの辺は少し悩みました。
僕が言った事を言われたままやってくれるよりは「監督、こういうの面白いんじゃないですか」って言ってくれる人を求めています。
よく映画制作のシステムは、監督がピラミッドの頂点にいて、その下に組織化された三角形がたくさんあるのですが、TV制作の現場は、比較的横並びなんです。僕はTVの出身なので、僕がカメラマンに注文をつける時もあれば、カメラマンが僕の演出にダメ出しもするし、意外とみんなで作っていく感じがある。映画を初めて作った時にびっくりしたのが、照明の人は照明のことだけにしか言わないこと。もちろんそこに責任をもつから、そのプロフェッショナルな意識に基づいた縦割りで、そのメリットはあるのですが、僕はあんまり好きじゃないんです(笑)。
今作のカメラマンはTVのドキュメンタリー出身の山崎さんで、意見もくれるし、僕もそれに対していろいろ言えるし、皆がそれぞれに意見を持っていて言い合える現場というのがだいぶ浸透してきました。録音部の鶴巻さんも「このセリフのこの一言は耳で聞くだけじゃ意味がわかりづらいんだよな」ということを言ってくれるし、そういう環境ができてきているのが凄く嬉しい。上からでも下からでもなくて、横からいろんなことを言ってもらって「じゃあ、こうしましょうか」という関係を築くことをスタッフに求めています。セクト意識みたいなものをなくした現場が理想ですね。
(STORY)
15年前に文学賞を獲ったきり、鳴かず飛ばずの小説家・良多(阿部寛)。妻の響子(真木よう子)に愛想を尽かされ、現在は妻とも一人息子の真悟(吉澤太陽)とも離れて暮らす身の彼は、興信所に勤めているが、探偵業は執筆業のためのリサーチだと言い訳を重ねている。そんな中、月1度の真悟との面会を迎えた良多は、響子が帰ってくるまでに今月分の養育費を用意すると約束するも当てがなく、真悟を連れて母親・淑子(樹木希林)が一人で暮らす実家を訪れる。しかし、台風の雨風がしだいにひどくなり、真悟を迎えにきた響子も良多の実家に泊まることに。そして元家族の彼らは一夜を過ごすことに―。
原案・監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:阿部寛、真木よう子、小林聡美、リリー・フランキー、池松壮亮、吉澤太陽、橋爪功 、樹木希林ほか
5月21日(土)より全国ロードショー
(C)2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ
是枝裕和(これえだ・ひろかず)
1962年生まれ、東京都出身。95年の映画初監督作『幻の光』で、ベネチア国際映画祭の金のオゼッラ賞を受賞。04年の『誰も知らない』では、主演の柳楽優弥にカンヌ国際映画祭で史上最年少の最優秀男優賞をもたらした。『そして父になる』(13)ではカンヌ国際映画祭審査員賞、『海街diary』(15)では日本アカデミー賞最優秀作品賞と最優秀監督賞に輝いた。