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ホーム > 映像関係者の声 > プロデューサーインタビュー > 自らもそうでありたいという願いで「舞台裏の英雄たち」と名付けました/ 映画『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』の企画プロデュース・平野隆さんに『映画製作の醍醐味』を聞く

自らもそうでありたいという願いで「舞台裏の英雄たち」と名付けました/ 映画『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』の企画プロデュース・平野隆さんに『映画製作の醍醐味』を聞く

2021.05.19
プロデューサー
平野隆さん
映画『余命1ヶ月の花嫁』『チア☆ダン』『8年越しの花嫁』など、多く映画作品のプロデュースを務める平野企画プロデューサーに「作品が生まれた経緯」「ロケ地に求める事」「撮影の裏側」を語って頂きました。
どのような経緯で作品が生まれのですか?

 映画制作を行っている株式会社ダブの宇田川さんと企画のやり取りをしているときに、“長野オリンピックスキージャンプ団体金メダル”の話を聞いたのがきかっけです。当初の企画でも、出来上がった映画と同様西方仁也さんが主役でしたが、物語は西方さんと原田雅彦さんの友情に軸が置かれていました。西方さんは1994年のリレハンメルオリンピックで、原田さんとともにスキージャンプ団体で銀メダルを獲得した方で、長野オリンピックにはテストジャンパーという裏方として参加されていました。その“テストジャンパー”という言葉が私には強く引っ掛かりました。そして何故か数年後に開催される東京オリンピックが頭の中でリンクし始めました。

 

25人のテストジャンパーの物語がおもしろいものになるなら映画としての可能性がある、と企画開発をスタートしました。そこから、西方さんの挫折と再生の秘話があること、他の24人のテストジャンパーにも様々な苦悩の物語があるということ、彼等が長野オリンピックの金メダルを大きく支えたという事実が次々とわかり、真実の物語として極めて力強いものになることを確信しました。

実在する方々をモデルとして作品を作っているとお伺いしましたが、 こちらに関しても企画の中どのように影響し、考えられていたのですか?

 調べていくうちに、たくさんの魅力的な方がいることがわかりました。小坂菜緒さんが演じた、賀子は、女性として唯一のテストジャンパーである吉泉賀子(旧姓:葛西)さんをモデルとしています。女子スキージャンプがオリンピックの正式種目でなかった時代に、将来的にその扉を開きたいという夢を抱きつつテストジャンパーに志願した方でした。彼女の存在がテストジャンパーの物語を鮮やかに彩り、西方さんの物語を別角度から支えてくれる予感がしました。

 

同じくテストジャンパーの中に、高橋竜二さんという聴覚障害のある方もいました。この方は名だたる大会でオリンピック選手を抑えて優勝するような実力の持ち主でした。吹雪の中、150Mのジャンプ台から飛び立つ、音のない世界を想像した時、この映画に大きな拡がりを感じました。

 

そうやってピースを一つ一つ組み合わせながら、主軸である西方さんの物語を重層的に作り上げていきました。リレハンメルオリンピックでの銀メダル獲得の後、「次は長野で金メダルだ」という強固な思いからの代表落選という挫折(リレハンメルで金を逃す失敗ジャンプをした原田さんは代表に選ばれる)、屈辱的なテストジャンパーとしての長野オリンピックへの参加、そして24人のテストジャンパーと共に奇跡を起こす。これで完全な人間物語が構築できると確信しました。“人間物語”と言ったのは、この映画を単なるスポ根ものにしたくなかったからです。

劇中でこだわった点とか、ここだけは外せなかったエピソードっていうのはありますか?

 観客の皆さんを物語に引き込むためには“リアル”であることが重要だと考えました。スキージャンプをリアルに見せること、長野オリンピックを再現するということは相当に難しい。救いは実際にオリンピックが行われた白馬競技もまだ残っていることでした。この競技場が残っていてくれたことで、後は会場周りを当時のように再現することだけで済んだ。電光掲示板も当時のもので、映画で「競技中止」と表示されるのですが、1998年の記録映像と全く同じ見え方をします。それはそうですよね。同じものなのですから。

ロケ自体は長野県で行ったのですか?

 全てではないですが、大部分を長野県で行いました。西方さんの故郷である野沢温泉でも行いましたし、ご実家でも撮影をしています。西方さんのご実家は民宿をされているのですが、映画でリレハンメルオリンピックの祝勝会をしているのはご実家の宴会場です。西方さんが子供の頃に練習していたジャンプ台まだ残っていたので、西方さんが心情を吐露するシーンで効果的に使用させて頂きました。リアルを追求する過程で、撮影場所も必然的に“本物”の場所に決まっていきました。

食事で、ご当地で美味しかったものとかありますか。

 信州蕎麦や蒸し器を借りておやきなど、美味しかったです。地元の方がいろいろ差し入れをしてくれたことも印象に残っています。ソーセージとかジャムとか。長野はとても寒かったので、お味噌汁などの温かい差し入れも嬉しかったです。

 

印象的な白馬のジャンプ台ですが、実際出演者の方って実際飛んでいるのですか?

 飛べるわけがありません。選手でさえラージヒルで飛ぶことは危険と隣合わせなのに、経験のない者が飛ぶためには何十年、いや一生かかっても不可能だと思います。撮影では俳優さんたちがジャンプ台のスタート位置に座り、滑り出すところまでやっています。長野オリンピックのシーンでは吹雪による悪天候を再現しなければならなかったのですが、これも実際には不可能なのでCGや美術などの知恵を結集して作り上げました。原田さんや長野オリンピック金メダリストの方たちに、出来上がった作品を見て頂いた時「自分たちが飛んでいた情景も、そこから見えていた風景も本当にそのままだった」と言って頂けたことはとても嬉しかった。ただ、映画の公開延期がなければこれ程の映像を作り出すことは出来なかったと思います。皮肉なことに、公開延期によるポスプロ時間の増加が映画の完成度を大幅に高めたのです。

キャストさんやスタッフさんはロケや撮影御期間中含めてどんな雰囲気でしたか。裏話などはありますか?

 みんな仲が良かったですね。白馬での撮影が30日弱あって、田中圭さんを中心にして、ずっとスキー合宿をしているような感じでした。皆が宿泊していたペンションはまるで合宿所のようになっていて、田中さんや古田新太さんが「今日は早く終わったから」と役者さんやテストジャンパーたちをよく食事に連れて行ってました。何度かその光景を目にするうちに、私には彼等の姿に1998年のテストジャンパーがオーバーラップして見えてきました。

最後に、映像制作者を目指す方、または若手の方にアドバイスをお願いします。

 映像作品に携わることは、何かすばらしい大きな見返りがあるわけではないですが、自分のつくった映像で人を笑わせたいとか、苦しんでいる人を励ましたいとか、そんな気持ちのある方には向いていると思います。監督もプロデューサーも制作スタッフも皆基本的には裏方で、なにか大切なものを作り出し送り出したいという想いはあると思います。25人のテストジャンパーへの想いと、自らもそうでありたいという願いが重なり、サブタイトルに「舞台裏の英雄たち」と付けました。映画が完成した時の達成感はたしかに大きいものですが、本当の達成感は多くの人に見てもらったときに完結します。25人のテストジャンパーは間違いなく舞台裏の英雄であり、彼等が本当の達成感を得たのは選手たちが金メダルを獲った時。我々と同じです。

 

――ありがとうございました!

映画『余命1ヶ月の花嫁』『チア☆ダン』『8年越しの花嫁』など、多く映画作品のプロデュースを務める平野企画プロデューサーに「作品が生まれた経緯」「ロケ地に求める事」「撮影の裏側」を語って頂きました。
どのような経緯で作品が生まれのですか?

 映画制作を行っている株式会社ダブの宇田川さんと企画のやり取りをしているときに、“長野オリンピックスキージャンプ団体金メダル”の話を聞いたのがきかっけです。当初の企画でも、出来上がった映画と同様西方仁也さんが主役でしたが、物語は西方さんと原田雅彦さんの友情に軸が置かれていました。西方さんは1994年のリレハンメルオリンピックで、原田さんとともにスキージャンプ団体で銀メダルを獲得した方で、長野オリンピックにはテストジャンパーという裏方として参加されていました。その“テストジャンパー”という言葉が私には強く引っ掛かりました。そして何故か数年後に開催される東京オリンピックが頭の中でリンクし始めました。

 

25人のテストジャンパーの物語がおもしろいものになるなら映画としての可能性がある、と企画開発をスタートしました。そこから、西方さんの挫折と再生の秘話があること、他の24人のテストジャンパーにも様々な苦悩の物語があるということ、彼等が長野オリンピックの金メダルを大きく支えたという事実が次々とわかり、真実の物語として極めて力強いものになることを確信しました。

実在する方々をモデルとして作品を作っているとお伺いしましたが、 こちらに関しても企画の中どのように影響し、考えられていたのですか?

 調べていくうちに、たくさんの魅力的な方がいることがわかりました。小坂菜緒さんが演じた、賀子は、女性として唯一のテストジャンパーである吉泉賀子(旧姓:葛西)さんをモデルとしています。女子スキージャンプがオリンピックの正式種目でなかった時代に、将来的にその扉を開きたいという夢を抱きつつテストジャンパーに志願した方でした。彼女の存在がテストジャンパーの物語を鮮やかに彩り、西方さんの物語を別角度から支えてくれる予感がしました。

 

同じくテストジャンパーの中に、高橋竜二さんという聴覚障害のある方もいました。この方は名だたる大会でオリンピック選手を抑えて優勝するような実力の持ち主でした。吹雪の中、150Mのジャンプ台から飛び立つ、音のない世界を想像した時、この映画に大きな拡がりを感じました。

 

そうやってピースを一つ一つ組み合わせながら、主軸である西方さんの物語を重層的に作り上げていきました。リレハンメルオリンピックでの銀メダル獲得の後、「次は長野で金メダルだ」という強固な思いからの代表落選という挫折(リレハンメルで金を逃す失敗ジャンプをした原田さんは代表に選ばれる)、屈辱的なテストジャンパーとしての長野オリンピックへの参加、そして24人のテストジャンパーと共に奇跡を起こす。これで完全な人間物語が構築できると確信しました。“人間物語”と言ったのは、この映画を単なるスポ根ものにしたくなかったからです。

劇中でこだわった点とか、ここだけは外せなかったエピソードっていうのはありますか?

 観客の皆さんを物語に引き込むためには“リアル”であることが重要だと考えました。スキージャンプをリアルに見せること、長野オリンピックを再現するということは相当に難しい。救いは実際にオリンピックが行われた白馬競技もまだ残っていることでした。この競技場が残っていてくれたことで、後は会場周りを当時のように再現することだけで済んだ。電光掲示板も当時のもので、映画で「競技中止」と表示されるのですが、1998年の記録映像と全く同じ見え方をします。それはそうですよね。同じものなのですから。

ロケ自体は長野県で行ったのですか?

 全てではないですが、大部分を長野県で行いました。西方さんの故郷である野沢温泉でも行いましたし、ご実家でも撮影をしています。西方さんのご実家は民宿をされているのですが、映画でリレハンメルオリンピックの祝勝会をしているのはご実家の宴会場です。西方さんが子供の頃に練習していたジャンプ台まだ残っていたので、西方さんが心情を吐露するシーンで効果的に使用させて頂きました。リアルを追求する過程で、撮影場所も必然的に“本物”の場所に決まっていきました。

食事で、ご当地で美味しかったものとかありますか。

 信州蕎麦や蒸し器を借りておやきなど、美味しかったです。地元の方がいろいろ差し入れをしてくれたことも印象に残っています。ソーセージとかジャムとか。長野はとても寒かったので、お味噌汁などの温かい差し入れも嬉しかったです。

 

印象的な白馬のジャンプ台ですが、実際出演者の方って実際飛んでいるのですか?

 飛べるわけがありません。選手でさえラージヒルで飛ぶことは危険と隣合わせなのに、経験のない者が飛ぶためには何十年、いや一生かかっても不可能だと思います。撮影では俳優さんたちがジャンプ台のスタート位置に座り、滑り出すところまでやっています。長野オリンピックのシーンでは吹雪による悪天候を再現しなければならなかったのですが、これも実際には不可能なのでCGや美術などの知恵を結集して作り上げました。原田さんや長野オリンピック金メダリストの方たちに、出来上がった作品を見て頂いた時「自分たちが飛んでいた情景も、そこから見えていた風景も本当にそのままだった」と言って頂けたことはとても嬉しかった。ただ、映画の公開延期がなければこれ程の映像を作り出すことは出来なかったと思います。皮肉なことに、公開延期によるポスプロ時間の増加が映画の完成度を大幅に高めたのです。

キャストさんやスタッフさんはロケや撮影御期間中含めてどんな雰囲気でしたか。裏話などはありますか?

 みんな仲が良かったですね。白馬での撮影が30日弱あって、田中圭さんを中心にして、ずっとスキー合宿をしているような感じでした。皆が宿泊していたペンションはまるで合宿所のようになっていて、田中さんや古田新太さんが「今日は早く終わったから」と役者さんやテストジャンパーたちをよく食事に連れて行ってました。何度かその光景を目にするうちに、私には彼等の姿に1998年のテストジャンパーがオーバーラップして見えてきました。

最後に、映像制作者を目指す方、または若手の方にアドバイスをお願いします。

 映像作品に携わることは、何かすばらしい大きな見返りがあるわけではないですが、自分のつくった映像で人を笑わせたいとか、苦しんでいる人を励ましたいとか、そんな気持ちのある方には向いていると思います。監督もプロデューサーも制作スタッフも皆基本的には裏方で、なにか大切なものを作り出し送り出したいという想いはあると思います。25人のテストジャンパーへの想いと、自らもそうでありたいという願いが重なり、サブタイトルに「舞台裏の英雄たち」と付けました。映画が完成した時の達成感はたしかに大きいものですが、本当の達成感は多くの人に見てもらったときに完結します。25人のテストジャンパーは間違いなく舞台裏の英雄であり、彼等が本当の達成感を得たのは選手たちが金メダルを獲った時。我々と同じです。

 

――ありがとうございました!

作品情報
映画『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』

【information】

映画『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』

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長野オリンピック・ラージヒル団体で日本初の金メダルを狙うスキージャンプチーム。そこに、エース原田のジャンプを複雑な想いで見つめる男――元日本代表・西方仁也(田中圭)がいた。前回大会・リレハンメルオリンピックで、西方は原田とともに代表選手として出場するも、結果は銀メダル。4年後の雪辱を誓い練習に打ち込んだが、代表を落選。失意の中、テストジャンパーとしてオリンピックへの参加を依頼され、屈辱を感じながらも裏方に甘んじる。そして迎えた本番。団体戦の1本目のジャンプで、日本はまさかの4位に後退。しかも猛吹雪により競技が中断。メダルの可能性が消えかけた時、審判員たちから提示されたのは、「テストジャンパー25人全員が無事に飛べたら競技を再開する」という前代未聞の条件だった…。命の危険も伴う悪天候の中、金メダルへのかすかな希望は西方たち25人のテストジャンパーへ託された―――。

_______________________________

【作品情報】

2021年6月18日(金)公開

出演者: 出演:田中圭 土屋太鳳 山田裕貴 眞栄田郷敦 小坂菜緒(日向坂46)/濱津隆之 / 古田新太 他

監督:飯塚健

脚本:杉原憲明 鈴木謙一 

音楽:海田庄吾

企画プロデュース:平野隆『余命1ヶ月の花嫁』『チア☆ダン』『8年越しの花嫁』

製作:映画『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』製作委員会

制作プロダクション:ダブ 配給:東宝

【INTERVIEW】

企画プロデューサー

平野隆さん

大分県生まれ。一橋大学卒業後、TBSに入社。

実話の映画化だけでなく、『黄泉がえり』(03)、『どろろ』(07)、『64 -ロクヨン- 前編/後編』(16)、『忍びの国』(17)、『スマホを落としただけなのに』(18)、『糸』(20)などヒット作が多数。公開待機作に『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ファイナル』(21 8月20日公開予定)、『老後の資金がありません!』(21 10月30日公開予定)、『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』(21年冬公開予定)など。

 

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