東京生まれパリ在住。80年代から映画の様々な分野で仕事。キネマ旬報や女性誌等に寄稿。配給会社ユーロスペースの買い付けをサポート。1993年にフランスの映画製作会社 Comme des Cinémas の設立に参加。1998年に諏訪敦彦監督と出会い、以降同監督の『Hstory』『不完全なふたり』『パリ、ジュテーム』『ユキとニナ』に参与。2009年に映画製作会社 FILM-IN-EVOLUTION を設立。
実は公開は日本が一番初めなのです。9月11日にカナダのトロント国際映画祭でワールドプレミアをしまして、そこで初めて世間の目に触れます。それまでは関係者やマスコミ向けの試写しかしていませんので、日本のプレス試写の反響が先になっていますね。一般の方や海外のジャーナリストの方が見てどうとらえるかという反応は、まだ分からないです。フランスでの公開が来年の2月なので、徐々に人の目に触れていくことになりますね。これからが、楽しみです。
はい、なるべく現場に行くようにしていました。苦労らしい苦労はなかったです。映画の現場は大体どこでも同じで、スタッフィングを間違えなければ、良いチームが出来て、皆が監督の為に働きます。確かに、通訳を通すことで日本語で直に指示を出すよりは時差がありますが、今回はエレオノール・マムディアンという、ずっと日本に住んでいるフランス人の女性が通訳として黒沢さんの「口」になってくれたので、障碍になったとは私は思いません。
黒沢さんの手法は独特なのです。日本で作品を作られるときも同様ですが、細かい演技指導 ――このシーンはこの人の気持ちはこうで、だからこういう風な感情の流れで―― という説明は一切なさらないですね。動き方については具体的に指示を出されることはありますが、基本的には役者に任せていますので、黒沢さんに慣れていない役者さんにとっては、もう少し詳しく指導してほしいなど戸惑われることもあるかもしれませんね。今回は、役者の方から質問が飛んで「こうしたらどうだろう」という演技の提案があり、黒沢さんもそれを聞いて取り入れながら撮影が進んでいきました。
あまりバラすと面白くないのですが(笑)。メインのロケ地は、パリから一時間ぐらいかかる、セーヌ川沿いにある郊外の屋敷です。そこに決まるまで、一か月以上の時間をかけてずいぶん物件をみていますね。普通にご家族が住んでいる家なのですが、非常に造りが面白く特徴的なので、普段から映画のセットなどに貸しているそうです。我々が撮影している間は、お家を空けて他の棟にいてくださいました。家の中は撮影の為に一部装飾は加えていますが、ベーシックな部分はありのままです。
許可は取りやすいです。メインの屋敷は、個人の所有物ですので勿論お金を払って撮影しています。あと、撮影車両を屋敷の前に停めたりするので、最寄りの市の許可はとりますが、それも問題はないです。東京都内では道路交通法で絶対に許可は下りないので、フランスの方が圧倒的に撮影しやすいですね。フランスは作品を積極的に誘致しているので、都市でも「ここで撮ってくれ」「金銭的なサポートもしますよ」という声がかかります。
~今作で登場したロケ地~
・マリーが一人で行く、温室がある植物園:パリ5区にあるパリ植物園。ルイ13世の時代、王立薬草園として創られたフランスを代表する植物園。
・マリーとジャンが立ちよる教会:Les Loges-en-Josas という場所にある、Eglise St Eustache(ギラギラしすぎた教会ではなく、こじんまりとした教会がこの作品にはあっている!と現地スタッフのアドバイスも受けて監督はここに決めたそう)。
やはり黒沢さんの人柄と、フランスのスタッフが黒沢さんの演出に驚いて心酔していたことでしょうか。「監督の為なら、なんでもする!」という感じで。それが根本にあったので、和気あいあいと団結して良い現場でしたね。また、フランス人は日本人に比べて口数が多い方なので撮影現場は騒々しいものなのですが、今回の現場は黒沢さんがそれほど口数多い方ではないので、現場全体が黒沢さんのペースで、みんな黙々と作業して効率よく撮影が進んでいったのも良かったです。
もともと黒沢清という人を知っていて「外国人監督と仕事をしてみたい」というスタッフもいましたし、今まで黒沢作品を観ていなかったけれど、黒沢監督と一緒に仕事をするかもしれない、と黒沢作品を観て、凄く気に入った人もいました。それぞれが黒沢清という人がどんな監督かということを自覚して現場に来たと思うのですが、それにも増して毎日の撮影の中で、黒沢さんの仕事ぶりをみて傾倒していったという感じです。
私がプロデュースする作品は資金ベースがフランスで、日本ベースで映画を製作したことがないので、日本での資金繰りなどは全然知りません。
現場スタッフについては、監督がスタッフの信頼を得られるかどうかで、違いが出るのではないかと思いますね。スタッフが「この監督の為ならどこにでもついていく」という感じになれば、どこで、誰が、どういう条件下で撮っても同じだと思います。
それはやはり、一人でも多くの方に。基本的に黒沢ファンという層がありますので、その方々にはもちろんのこと、そこから裾野を広げるために色々な方の力を借りたい所です。
私は映画を作るときに、こういう観客に来てほしいから、こういう映画を作ろう、と考えていないんです。「黒沢さんがフランスで映画を撮ったらどうなるんだろう」という個人的興味をもったことが今回の映画を製作するに至った一番最初のきっかけでした。
『ダゲレオタイプの女』がいよいよ世界各地で公開されていくので、それを見守り、その後、また可能ならば黒沢さんにまたフランスで一本撮っていただけないかな、と思っています。今回のリアクションを待ってという感じでしょうか。
また、今、日本人の監督がフランスで新しい映画を一本撮っています。とりあえず、その映画を無事に撮り終えることが目の前の目標です。
東京生まれパリ在住。80年代から映画の様々な分野で仕事。キネマ旬報や女性誌等に寄稿。配給会社ユーロスペースの買い付けをサポート。1993年にフランスの映画製作会社 Comme des Cinémas の設立に参加。1998年に諏訪敦彦監督と出会い、以降同監督の『Hstory』『不完全なふたり』『パリ、ジュテーム』『ユキとニナ』に参与。2009年に映画製作会社 FILM-IN-EVOLUTION を設立。
実は公開は日本が一番初めなのです。9月11日にカナダのトロント国際映画祭でワールドプレミアをしまして、そこで初めて世間の目に触れます。それまでは関係者やマスコミ向けの試写しかしていませんので、日本のプレス試写の反響が先になっていますね。一般の方や海外のジャーナリストの方が見てどうとらえるかという反応は、まだ分からないです。フランスでの公開が来年の2月なので、徐々に人の目に触れていくことになりますね。これからが、楽しみです。
はい、なるべく現場に行くようにしていました。苦労らしい苦労はなかったです。映画の現場は大体どこでも同じで、スタッフィングを間違えなければ、良いチームが出来て、皆が監督の為に働きます。確かに、通訳を通すことで日本語で直に指示を出すよりは時差がありますが、今回はエレオノール・マムディアンという、ずっと日本に住んでいるフランス人の女性が通訳として黒沢さんの「口」になってくれたので、障碍になったとは私は思いません。
黒沢さんの手法は独特なのです。日本で作品を作られるときも同様ですが、細かい演技指導 ――このシーンはこの人の気持ちはこうで、だからこういう風な感情の流れで―― という説明は一切なさらないですね。動き方については具体的に指示を出されることはありますが、基本的には役者に任せていますので、黒沢さんに慣れていない役者さんにとっては、もう少し詳しく指導してほしいなど戸惑われることもあるかもしれませんね。今回は、役者の方から質問が飛んで「こうしたらどうだろう」という演技の提案があり、黒沢さんもそれを聞いて取り入れながら撮影が進んでいきました。
あまりバラすと面白くないのですが(笑)。メインのロケ地は、パリから一時間ぐらいかかる、セーヌ川沿いにある郊外の屋敷です。そこに決まるまで、一か月以上の時間をかけてずいぶん物件をみていますね。普通にご家族が住んでいる家なのですが、非常に造りが面白く特徴的なので、普段から映画のセットなどに貸しているそうです。我々が撮影している間は、お家を空けて他の棟にいてくださいました。家の中は撮影の為に一部装飾は加えていますが、ベーシックな部分はありのままです。
許可は取りやすいです。メインの屋敷は、個人の所有物ですので勿論お金を払って撮影しています。あと、撮影車両を屋敷の前に停めたりするので、最寄りの市の許可はとりますが、それも問題はないです。東京都内では道路交通法で絶対に許可は下りないので、フランスの方が圧倒的に撮影しやすいですね。フランスは作品を積極的に誘致しているので、都市でも「ここで撮ってくれ」「金銭的なサポートもしますよ」という声がかかります。
~今作で登場したロケ地~
・マリーが一人で行く、温室がある植物園:パリ5区にあるパリ植物園。ルイ13世の時代、王立薬草園として創られたフランスを代表する植物園。
・マリーとジャンが立ちよる教会:Les Loges-en-Josas という場所にある、Eglise St Eustache(ギラギラしすぎた教会ではなく、こじんまりとした教会がこの作品にはあっている!と現地スタッフのアドバイスも受けて監督はここに決めたそう)。
やはり黒沢さんの人柄と、フランスのスタッフが黒沢さんの演出に驚いて心酔していたことでしょうか。「監督の為なら、なんでもする!」という感じで。それが根本にあったので、和気あいあいと団結して良い現場でしたね。また、フランス人は日本人に比べて口数が多い方なので撮影現場は騒々しいものなのですが、今回の現場は黒沢さんがそれほど口数多い方ではないので、現場全体が黒沢さんのペースで、みんな黙々と作業して効率よく撮影が進んでいったのも良かったです。
もともと黒沢清という人を知っていて「外国人監督と仕事をしてみたい」というスタッフもいましたし、今まで黒沢作品を観ていなかったけれど、黒沢監督と一緒に仕事をするかもしれない、と黒沢作品を観て、凄く気に入った人もいました。それぞれが黒沢清という人がどんな監督かということを自覚して現場に来たと思うのですが、それにも増して毎日の撮影の中で、黒沢さんの仕事ぶりをみて傾倒していったという感じです。
私がプロデュースする作品は資金ベースがフランスで、日本ベースで映画を製作したことがないので、日本での資金繰りなどは全然知りません。
現場スタッフについては、監督がスタッフの信頼を得られるかどうかで、違いが出るのではないかと思いますね。スタッフが「この監督の為ならどこにでもついていく」という感じになれば、どこで、誰が、どういう条件下で撮っても同じだと思います。
それはやはり、一人でも多くの方に。基本的に黒沢ファンという層がありますので、その方々にはもちろんのこと、そこから裾野を広げるために色々な方の力を借りたい所です。
私は映画を作るときに、こういう観客に来てほしいから、こういう映画を作ろう、と考えていないんです。「黒沢さんがフランスで映画を撮ったらどうなるんだろう」という個人的興味をもったことが今回の映画を製作するに至った一番最初のきっかけでした。
『ダゲレオタイプの女』がいよいよ世界各地で公開されていくので、それを見守り、その後、また可能ならば黒沢さんにまたフランスで一本撮っていただけないかな、と思っています。今回のリアクションを待ってという感じでしょうか。
また、今、日本人の監督がフランスで新しい映画を一本撮っています。とりあえず、その映画を無事に撮り終えることが目の前の目標です。
(STORY)
世界最古の撮影方法、ダゲレオタイプの写真家ステファンのアシスタントに偶然なったジャン。その撮影方法の不思議さに惹かれ、ダゲレオタイプのモデルを務めるステファンの娘マリーに恋心を募らせる、しかし、その撮影は「愛」だけではなく「苦痛」を伴うものだった…。芸術と愛情を混同したアーティストである写真家のエゴイスティックさ、父を慕いながらも拘束され続けることから逃れ自らの人生をつかみたいマリーの想い、撮影に魅了されながらもただマリーとともに生きたいというジャンの願い、そして自ら命を絶っていたステファンの妻の幻影…愛が命を削り、愛が幻影を見せ、愛が悲劇を呼ぶ。世界最古の撮影を通して交わされる愛の物語であり、愛から始まる取り返しのつかない悲劇。
監督・脚本:黒沢清
撮影:アレクシ・カヴィルシーヌ
音楽:グレゴワール・エッツェル
出演:タハール・ラヒム、コンスタンス・ルソー、オリヴィエ・グルメ、マチュー・アマルリック
2016/フランス=ベルギー=日本/131分
配給:ビターズ・エンド
提供:LFDLPA Japan Film Partners(ビターズ・エンド、バップ、WOWOW)
公式サイト:www.bitters.co.jp/dagereo
© FILM-IN-EVOLUTION - LES PRODUCTIONS BALTHAZAR - FRAKAS PRODUCTIONS – LFDLPA Japan Film Partners - ARTE France Cinéma
10月15日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国公開!
吉武美知子(よしたけ・みちこ)プロデューサー
東京生まれパリ在住。80年代から映画の様々な分野で仕事。キネマ旬報や女性誌等に寄稿。いち早くレオス・カラックス、シリル・コラール、ニコラ・フィリベール、フランソワ・オゾンを発掘し配給会社ユーロスペースの買い付けをサポート。1993年にフランスの映画製作会社 Comme des Cinémas の設立に参加。1998年に諏訪敦彦監督と出会い、以降同監督の『Hstory』『不完全なふたり』『パリ、ジュテーム』『ユキとニナ』に参与。Comme des Cinémas で『TOKYO!』の企画開発・製作に4年、『ユキとニナ』の企画開発・製作に5年をかけた後、2009年に映画製作会社 FILM-IN-EVOLUTION を設立。