コロナ禍の撮影ということもあり大変だったと思いますが、一番苦労されたことを教えてください。
作品を忘れる日がないくらい、本当に撮影時から公開まで相当悩まされました。毎日寝る前に「これ無事に公開できるのかな」と思っていました。撮影は、ちょうどPCR検査が受けられない最初の時期を少し抜けたかなというタイミングでした。とはいえオール富山ロケでしたので、コロナをロケ地に持ち込むことを絶対に避けなければということで、業界でも珍しかった全員PCR検査を実施しました。もちろん感染予防ガイドラインなどもまだなかったので、各方面から情報収集をしてゼロから作成しました。撮影の準備期間から現地に入っている制作部のスタッフは、コロナ禍のために物件を貸していただけないかもしれない、とかなりひっ迫した状況に追い込まれました。本当に苦労を強いたと思います。今ではすっかり慣れてしまいましたが、9月の暑い気候の中マスクをつけて現場に出るということは当時相当苦しく、熱中症のリスクもありました。
作品の中でも富山県の綺麗な風景が印象的ですが、富山県ロケは当初から決まっていたのですか。
北海道や静岡、北陸といくつか候補はありました。富山県なのか、石川県なのか、それとも福井県なのかまではわからないですけれど、「北陸だ」という監督のイメージをもって脚本を作っていました。その中で一つの決め手になったのが“いかの塩辛”です。富山には「黒作り」という特殊ないかの塩辛があり、生臭さがなくまろやかでおいしいです。それが面白いということで決まりました。最終的にはほぼオール富山ロケ、一部合成用の素材以外はほぼ99%富山県で撮影しました。
また、監督の言葉をお借りすると、孤独な青年が一人で暮らすのに向かう先として、東京にもすぐに行けるけれどこの人里離れた距離感、夏の冷涼とした雰囲気など、表現したいものが撮れるぴったりな場所でした。国内の様々な場所で撮影することで有名な監督の荻上さんが、また良い場所を見つけてくれたなと思いましたね。富山県はそこに行かなければ見られないような、海や山の稜線もはっきり見えるなかなかない景色ですね。