映画『いとみち』が生まれた経緯を教えてください。
2012年公開の阿部サダヲさん、菅野美穂さん出演の映画『奇跡のリンゴ』で当時私は制作担当(ロケーションマネージャー)として作品に参加していました。その時に津軽の人々、素晴らしい土地や文化に出会い、心底感動しました。私の出身は大阪なのですが、実は昔から弘前に対してずっと憧れがありました。敬愛する司馬遼太郎さんが大学受験の時に弘前に行き、津軽の素晴らしさに触れています。その影響で高校・大学の頃からずっと津軽は憧れの土地でした。ようやく『奇跡のリンゴ』で仕事として念願が叶い撮影は物凄く大変だったのですが、四季を通して津軽を体験し、撮影後に、苦楽を共にした弘前FCの白戸氏と「もう一度津軽で映画を作りましょう」というところから8年かかった企画でした。
制作時代から『いとみち』という構想はあったのでしょうか?
そうですね。弘前を後にした2012年には小説が出ていたので、帰りの新幹線で読んでいました。越谷オサムさん原作には、一人の少女の成長物語、津軽に住む人々の営み、津軽三味線やハードロックの音楽的要素が満載で、色々な角度から映画に出きると感じました。作品に出てくるおばあちゃんが、実はヴァン・ヘイレンが凄く好きで、そのギターフレーズを三味線で弾くのですが、それが格好よく面白いなあと思って。そして『奇跡のリンゴ』は方言全開の津軽弁というより、やわらかい津軽弁だったので、今作品は少しお客さんが理解が出来ないことを覚悟しつつも、津軽弁を音楽的アプローチで、方言そのままの津軽弁で制作したいと思っていました。