1961年、東京都出身。88年に小説『ノーライフ・キング』でデビュー。真新しいテーマと独特の文体で注目され、その後も小説、ルポルタージュ、エッセイなど、数多くの著書を発表する。99年、『ボタニカル・ライフ』で第15回講談社エッセイ賞受賞。執筆活動を続ける一方で、宮沢章夫、竹中直人、シティボーイズらと数多くの舞台・ライブをこなす。
盟友・みうらじゅんとは共作『見仏記』で新たな仏像の鑑賞を発信し、武道館を超満員にするほどの大人気イベント『スライドショー』をプロデュースするなど、常に先の感覚を走り創作し続けるクリエーター。
そもそもこの映画祭、フィルム・コミッションから始まっています。台東区のフィルム・コミッションがあって、そこに僕もいて、井上ひさしさんとかもいて、何度も会議をしていました。「撮影にこういう学校も使えるんじゃないか」とか話していたけど、ある時はっと思いついて。むしろこっち主導で映画祭をやって、映画業界の人たちに広く、「ここ(台東区)は映画祭をやるところなんだ」って、映画を観てもらってアピールした方が早いんじゃないかって。フィルム・コミッションもあります、そこでの映画のコンペティションもあって、「台東区でロケしてもらったコンペ作品もありますよ」といったアピールの仕方もあるんじゃないか、と。
そういった話をしていたら、その時の先代の区長が「それは面白いから、やろう」ということになりました。井上ひさしさんが「どうせ上野・浅草でやるならコメディ映画祭がいい」って言いだして「それはいいですね!」ということに。映画祭をよく知っていたスタッフにメールして「こういうのできるかな」と聞いたら「配給会社に協力してもらって、できると思う」と言われて始まりました。
今、浅草は映画やドラマでけっこう使われるようになりました。一時は閑散として本当に古びた感じでした。今では海外の方も物凄く来るようになりました。今はむしろ、一般の住民が歩けないぐらいになっちゃった(笑)。
上野・浅草、台東区のね。いろいろ観光資源があるけど、そこと下町の雰囲気をアピールしたいと台東区が言うから、下町をよく知っている我々が駆り出されました。
映画だけではなく演劇にも関係しています。劇団ってなかなか安い稽古場がないんですよ、新宿で廃校を貸切にして稽古場にしている所がある、そういう所が欲しいと言われて、今は台東区にもそういう所ができています。だから、ロケ誘致・演劇誘致ですね。そういうことをすることによって、稽古をすれば周りでご飯を食べるわけじゃないですか。そこで映画をかけたり演劇をやって人が来る、というモデルをフィルム・コミッションとしては考えています。
本来DVDリリースしか考えられていなかった映画がここでスクリーンにかけられて話題になり、劇場公開されることによって大ヒットする、という流れを狙います。映画業界では今までコメディ映画に対する評価が低かった。昔はコメディ映画を日本はいっぱい作っていたのに「なんだか古臭い」ということで、イケメン俳優が出てる泣けるような映画ばかりがはやるようになった。でもうちではコメディって世界中で一番尊敬されているジャンルなんですよ、ってことを言い続けてきたら、映画業界の人が今では逆に「新しくクランクアップする作品があるんだけど、そちらの映画祭でどうかな」って、情報をくれるようになりました。逆転しちゃったわけですよね。その傾向を強めるためには、ここにかかった映画はなるべくヒットさせなくちゃいけないな、と思っています。
月一で会議をやっていまして、スタッフが話をつけてきていくつかタイトルをあげます。今回だと台東区フィルム・コミッションからの作品は『ぼくのおじさん』で「21世紀版の寅さんなんだ」と。山田洋次さんがコメディ栄誉賞を受けてくれそうだ、という話が出てきたところだったから「それは繋がるね」「いいよね」「やりましょう」ということになりました。そういう情報が常に入っているから「(映画は)面白いけどゲストは誰を呼べるんだろう」とか「誰の枠でそれを流したら面白いんだろう」ということは凄く考えますね。
ただ「映画が面白かったからやります」ではありません。「そこにこういうイベントができます」「こういう形の盛り上がり方ができます」「つまりここにお客さんを呼べるか呼べないか」という基準が一番あります。それからネットで話題になるかどうか、が大きい。つまり、売り切れちゃってもいいわけですよ。買えないって話が大きくなればなるほど、それを封切った時に人が映画館に観に行くでしょ。DVDスルーだったものが自動的にスクリーンにかかるようになる。そういう状態を作っていくというのが我々のやり方です。だから、いかにも面白そうに見せていくという。興行師なんてそんなものですよね。
オープニングのレッドカーペットに地域の小学生が75人、いきなり吹奏楽でコメディ映画のテーマを吹いてくれます。セレモニーの前にも別の学校の子が90人ぐらいきて吹奏楽やってくれる。
下町とかでよくお祭りがあると、僕たちは子どもたちがぷーぷー吹いているのを知っています。「あれ、映画祭でもやったらどうかな」と言ったら、どんどん話が大きくなっちゃって(笑)。今は色々な小学校で子どもたちが「男はつらいよ」を一生懸命練習していると思うんだよ(笑)。それが地域から聞こえてくることで周りの大人も「なんで小学校で『男はつらいよ』を吹いているんだよ。あ、したコメか」と風になっていくじゃない! そういうことで地域の人が知ってくれることで、この映画祭がもっと理解されて受け入れられて、町で何かをやりたいときに話が通りやすくなるじゃないですか、好循環を起こすことは次々とやっています。
映画好きには小津安二郎の無声コメディ映画なんてのも上映しているから、それだけでも普通に価値があるのに、山寺宏一さんとか羽佐間道夫さんとか凄い人たちがそこへ声を当てます。ただ新しい物を紹介するだけでは済まない映画祭になっていますよ。それもあって、業界も「あそこに出してみようかな」「あそこに出すと二倍三倍の話題にしてくれるんじゃないか」と思う。そうならないと。
今回はフィルム・コミッションだけではなく、日本映画監督協会と組むことになっていて、そこが推薦した作品も上映します。いろんなところと組めば価値があがるじゃない。単に一つの区がやっている映画祭に見えないように、いろんなところとパイプを繋げるという事を九年間やってきたら、こんな大きな映画祭になってしまいました。
僕たちの映画祭では「なんでDVDじゃなくてスクリーンにかけるか」を大事にしています。複数の人が一緒に観て「ああいうところで人は笑うんだな」「泣くんだな」ということを知ることがコミュニケーションになるもので、そこが人間性を醸成していく機能があると思います。映画の「機能」を凄く大事にしているから、イベントもやるし、その場を盛り上げるし。お客さんを柔らくしてから映画を観てもらう、それを含めて「映画」だということを言いたい。なんとなく司会者が出てきて「どうぞ」って言うだけじゃ、客もカチンコチンじゃないですか。そうじゃないように、常に気を付けているんですよね。そこを制作者に分かって欲しい。我々はそういうコンセプトでやっているので、それを含めて映画だとわかってやっている人はここに出して欲しい、悪いようにはしないから(笑)。
1961年、東京都出身。88年に小説『ノーライフ・キング』でデビュー。真新しいテーマと独特の文体で注目され、その後も小説、ルポルタージュ、エッセイなど、数多くの著書を発表する。99年、『ボタニカル・ライフ』で第15回講談社エッセイ賞受賞。執筆活動を続ける一方で、宮沢章夫、竹中直人、シティボーイズらと数多くの舞台・ライブをこなす。
盟友・みうらじゅんとは共作『見仏記』で新たな仏像の鑑賞を発信し、武道館を超満員にするほどの大人気イベント『スライドショー』をプロデュースするなど、常に先の感覚を走り創作し続けるクリエーター。
そもそもこの映画祭、フィルム・コミッションから始まっています。台東区のフィルム・コミッションがあって、そこに僕もいて、井上ひさしさんとかもいて、何度も会議をしていました。「撮影にこういう学校も使えるんじゃないか」とか話していたけど、ある時はっと思いついて。むしろこっち主導で映画祭をやって、映画業界の人たちに広く、「ここ(台東区)は映画祭をやるところなんだ」って、映画を観てもらってアピールした方が早いんじゃないかって。フィルム・コミッションもあります、そこでの映画のコンペティションもあって、「台東区でロケしてもらったコンペ作品もありますよ」といったアピールの仕方もあるんじゃないか、と。
そういった話をしていたら、その時の先代の区長が「それは面白いから、やろう」ということになりました。井上ひさしさんが「どうせ上野・浅草でやるならコメディ映画祭がいい」って言いだして「それはいいですね!」ということに。映画祭をよく知っていたスタッフにメールして「こういうのできるかな」と聞いたら「配給会社に協力してもらって、できると思う」と言われて始まりました。
今、浅草は映画やドラマでけっこう使われるようになりました。一時は閑散として本当に古びた感じでした。今では海外の方も物凄く来るようになりました。今はむしろ、一般の住民が歩けないぐらいになっちゃった(笑)。
上野・浅草、台東区のね。いろいろ観光資源があるけど、そこと下町の雰囲気をアピールしたいと台東区が言うから、下町をよく知っている我々が駆り出されました。
映画だけではなく演劇にも関係しています。劇団ってなかなか安い稽古場がないんですよ、新宿で廃校を貸切にして稽古場にしている所がある、そういう所が欲しいと言われて、今は台東区にもそういう所ができています。だから、ロケ誘致・演劇誘致ですね。そういうことをすることによって、稽古をすれば周りでご飯を食べるわけじゃないですか。そこで映画をかけたり演劇をやって人が来る、というモデルをフィルム・コミッションとしては考えています。
本来DVDリリースしか考えられていなかった映画がここでスクリーンにかけられて話題になり、劇場公開されることによって大ヒットする、という流れを狙います。映画業界では今までコメディ映画に対する評価が低かった。昔はコメディ映画を日本はいっぱい作っていたのに「なんだか古臭い」ということで、イケメン俳優が出てる泣けるような映画ばかりがはやるようになった。でもうちではコメディって世界中で一番尊敬されているジャンルなんですよ、ってことを言い続けてきたら、映画業界の人が今では逆に「新しくクランクアップする作品があるんだけど、そちらの映画祭でどうかな」って、情報をくれるようになりました。逆転しちゃったわけですよね。その傾向を強めるためには、ここにかかった映画はなるべくヒットさせなくちゃいけないな、と思っています。
月一で会議をやっていまして、スタッフが話をつけてきていくつかタイトルをあげます。今回だと台東区フィルム・コミッションからの作品は『ぼくのおじさん』で「21世紀版の寅さんなんだ」と。山田洋次さんがコメディ栄誉賞を受けてくれそうだ、という話が出てきたところだったから「それは繋がるね」「いいよね」「やりましょう」ということになりました。そういう情報が常に入っているから「(映画は)面白いけどゲストは誰を呼べるんだろう」とか「誰の枠でそれを流したら面白いんだろう」ということは凄く考えますね。
ただ「映画が面白かったからやります」ではありません。「そこにこういうイベントができます」「こういう形の盛り上がり方ができます」「つまりここにお客さんを呼べるか呼べないか」という基準が一番あります。それからネットで話題になるかどうか、が大きい。つまり、売り切れちゃってもいいわけですよ。買えないって話が大きくなればなるほど、それを封切った時に人が映画館に観に行くでしょ。DVDスルーだったものが自動的にスクリーンにかかるようになる。そういう状態を作っていくというのが我々のやり方です。だから、いかにも面白そうに見せていくという。興行師なんてそんなものですよね。
オープニングのレッドカーペットに地域の小学生が75人、いきなり吹奏楽でコメディ映画のテーマを吹いてくれます。セレモニーの前にも別の学校の子が90人ぐらいきて吹奏楽やってくれる。
下町とかでよくお祭りがあると、僕たちは子どもたちがぷーぷー吹いているのを知っています。「あれ、映画祭でもやったらどうかな」と言ったら、どんどん話が大きくなっちゃって(笑)。今は色々な小学校で子どもたちが「男はつらいよ」を一生懸命練習していると思うんだよ(笑)。それが地域から聞こえてくることで周りの大人も「なんで小学校で『男はつらいよ』を吹いているんだよ。あ、したコメか」と風になっていくじゃない! そういうことで地域の人が知ってくれることで、この映画祭がもっと理解されて受け入れられて、町で何かをやりたいときに話が通りやすくなるじゃないですか、好循環を起こすことは次々とやっています。
映画好きには小津安二郎の無声コメディ映画なんてのも上映しているから、それだけでも普通に価値があるのに、山寺宏一さんとか羽佐間道夫さんとか凄い人たちがそこへ声を当てます。ただ新しい物を紹介するだけでは済まない映画祭になっていますよ。それもあって、業界も「あそこに出してみようかな」「あそこに出すと二倍三倍の話題にしてくれるんじゃないか」と思う。そうならないと。
今回はフィルム・コミッションだけではなく、日本映画監督協会と組むことになっていて、そこが推薦した作品も上映します。いろんなところと組めば価値があがるじゃない。単に一つの区がやっている映画祭に見えないように、いろんなところとパイプを繋げるという事を九年間やってきたら、こんな大きな映画祭になってしまいました。
僕たちの映画祭では「なんでDVDじゃなくてスクリーンにかけるか」を大事にしています。複数の人が一緒に観て「ああいうところで人は笑うんだな」「泣くんだな」ということを知ることがコミュニケーションになるもので、そこが人間性を醸成していく機能があると思います。映画の「機能」を凄く大事にしているから、イベントもやるし、その場を盛り上げるし。お客さんを柔らくしてから映画を観てもらう、それを含めて「映画」だということを言いたい。なんとなく司会者が出てきて「どうぞ」って言うだけじゃ、客もカチンコチンじゃないですか。そうじゃないように、常に気を付けているんですよね。そこを制作者に分かって欲しい。我々はそういうコンセプトでやっているので、それを含めて映画だとわかってやっている人はここに出して欲しい、悪いようにはしないから(笑)。