地元の方の情熱というのは、どこから生まれてきたのでしょうか。
大きく3つありました。まず「モデルになった徳永を応援してあげよう」ということ。次に、「地元の海苔を全国に広めたい」ということ。そして、「佐賀がどこにあるのかすら知られていない、そんな現状を覆したい」ということ。佐賀県は毎年発表されている魅力度ランキングの下位を争う県で、とうとう昨年最下位になってしまったんです。
皆さんの本気度は本当にすごかったです。例えば、支援する会の中では、地元でIT関係を生業にしている方を中心に広報部ができて、SNS戦略を立ててくれました。これがかなり大きな力になりました。撮影前の準備段階から発信をしたことで、じわじわと地元の中で情報が広がっていきました。支援する会のSNSは撮影中ももちろん、公開後も多く情報発信をしています。
地元の応援の中で、この映画をどのような作品にしたいと制作していったのですか。
当初は、やはり商業的な狙いもありましたが、だんだんと地元の方がちゃんと喜ぶものにしないといけないという思いが強くなっていきました。子供から大人、おじいちゃんやおばあちゃんまで楽しめるような物語へと仕上がっていきました。
皆さんに映画の話をすると、「私も出して」とおっしゃるんです。じゃあ地元の方に出てもらおうということで、エキストラに至るまでオーディションをするということになりました。それも支援する会が、会場の手配から待機場所、当日の流れまで、全て自分たちで考えて仕切ってくださいました。またそれが一種のイベントとして盛り上がっていきました。
最初は自分たちが映画を撮ろうと思って佐賀を訪れましたが、今は地元の方とキャッチボールしながら作り上げていったという感覚があり、「これはあなたたち佐賀の人たちの作品ですよ」という気持ちでいます。商業映画ばかりの昨今、骨太な映画が、これから生き残っていく1つの方法として、地元の方々とタッグを組み、地域に還元していくということもありなのではないかと感じました。