「盲目の貝類学者が貝をひろう」という描写に惹かれました。盲目ということが、小説の中で読み手に想像力をかきたてる文学的装置だと思うんですが、見えないからこそ、見えてくるものがあると思いました。それを映像化したいという気持ちになりました。
原作を読んだ時に頭の中に浮かんだ“南国の海辺に佇む盲目の貝類学者”のイメージがあって、ロケ地は沖縄しかないなと思いました。
沖縄では昔グラビアの仕事をしていて、青い空と白い砂浜、岩礁地帯の景色が頭にありました。また、フィリピンやタイ、バリなど、離島で撮影をすることが多かったので、いつか映画でこういった南国の島で作品を撮りたいという気持ちは強くありました。舟に乗り海を渡って島に行く時って、俗世の煩わしさから離れていくような開放感があります。メディアが氾濫している今の時代に、携帯電話の電波も通じない、そんな気分ってすごくいいなと思い、癒しを求めて島に渡りたくなるんです。
撮影自体は、島に慣れた助監督さんがついていたおかげで、そんなに影響はなかったです。毎日の香盤表に潮見表まで書かれていて、天候を予測しながら、撮影スケジュールを組んでいきました。
ただ沖縄とはいえ1月は最も寒い時期で、その環境下での芝居のある水中撮影は大変でしたね。
そうですね。CGでうまいこと合成するやり方もあるのですが、生身の身体が海に浸かっていき、生身の人が深海で呼吸をする姿、深層心理のような異世界を描きたかった。盲目の貝類学者が、海の中では、視力があり、自然を感知し、呼吸もしているような幻想的なシーンを生身の身体で表現したいと思ったんです。
――ウミガメの撮影は苦労されましたか?
悔しいことに、試写を見た人からウミガメの資料映像を買ったんだろう、みたいなことを言われるんですよね(笑)。そうではなくて、この映画の為に、沖縄のロケ地である、渡嘉敷島の沖合で水中カメラマンに毎日のように潜っていただいて撮影したものなんですよ。渡嘉敷島はウミガメの生息する海域ではあるんですが、一月の寒い時期ですし、通常の撮影のように、電話して明日何時にウミガメさんスタンバイというような話ではなく。潜ってみて、ウミガメがいたら撮るという感じですから簡単ではなかったです。
貝が開くシーンは、一瞬の出来事をスローモーションで撮ったような感じですね。普段見ないようなものをどれだけ撮れるかにこだわりました。
物語の構成にしても、既視感のないものにこだわって作っています。日中の撮影は16ミリフィルムで撮影しまして、アナログなカメラなんですが。そこにノスタルジックな風合いがでるように、工夫をして撮影しました。デジタルではないので、フィルムという物質に島の情景を焼き付けるというか。光の向きによってまた色味が違うので、太陽の位置と人物の関係性にまでこだわってカメラウーマンの芦澤明子さんが撮っています。
那覇にある国指定重要文化財のなかで、撮影の許可がおりたので撮影しました。昔の古民家ですね。海に近い場所にあり、海風によって風化が激しいので、昔の家屋というのがどんどん新しく建て直されてしまうのであまり残っていかないんですよね。その中でも残っている貴重なお屋敷を借りて、撮影をしました。
古めかしきものと新しい物が混在したような世界観を作りたかったので、古民家、昔の家屋で撮影をしたかったんです。
冒頭近くの、貝類学者が杖をつきながら自分の家に向かって波打ち際を歩いているシーンです。学者の家は、身体を守るようなシェルターのイメージでデザインされていて、家に帰っていく様子が殻をなくしたヤドカリが歩いていく様子を彷彿させるように撮りました。作品を象徴するようなシーンになっていて、気に入ってます。
――撮影中、以前より沖縄を好きになりましたか?
そうですね。沖縄にいるだけで普段の憂鬱な気分の1.5倍くらいはテンションがあがりますし、冬は生ぬるい風が吹いてきて、センチメンタルな気分にもなります。夕日を見ていたら涙がこぼれるような景色もありますし、それに人があったかくて、南国的な陽気さを持った場所だと思います。食べ物も大好きです。
実際に食べたものではないです。実はあのスープを食べるシーンは、ロケハン中に行った基地の近くにあるバーのマスターが、子どもの頃に海を泳いで体験した、ちょっとグロテスクな話がきっかけなんです。「貝がなぜうまいのかというと――」と言った言葉が、これは使えるな、と思って脚本に採用したんです。凄い話だなと思って。
海外に行って母国を思い浮かべるとき、日本は一つの島である、ということを感じます。外国にいると自分の産まれた国のことを聞かれますし「私は日本人だ」と答える機会があります。そういった視点から作品を作るのは面白いと思うんですよね。日本人として作品を作るんですけど、場所なり考えなりアイデアなりは、日本に留まらない方が「日本人としてのオリジナリティ」をもっと生み出せるんじゃないかと思うんです。
日本の中だけでなく、色々な国の人と協力して作品を作ることも面白いし、今後増えるんじゃないかと思っています。
先日のロッテルダム国際映画祭は、既成概念にとらわれない自由な表現をした人たちの集まりだったので、そういうこだわりのある方と組んで、映画表現の可能性を探っていきたいし、作品を作れたら面白いと思います。
「盲目の貝類学者が貝をひろう」という描写に惹かれました。盲目ということが、小説の中で読み手に想像力をかきたてる文学的装置だと思うんですが、見えないからこそ、見えてくるものがあると思いました。それを映像化したいという気持ちになりました。
原作を読んだ時に頭の中に浮かんだ“南国の海辺に佇む盲目の貝類学者”のイメージがあって、ロケ地は沖縄しかないなと思いました。
沖縄では昔グラビアの仕事をしていて、青い空と白い砂浜、岩礁地帯の景色が頭にありました。また、フィリピンやタイ、バリなど、離島で撮影をすることが多かったので、いつか映画でこういった南国の島で作品を撮りたいという気持ちは強くありました。舟に乗り海を渡って島に行く時って、俗世の煩わしさから離れていくような開放感があります。メディアが氾濫している今の時代に、携帯電話の電波も通じない、そんな気分ってすごくいいなと思い、癒しを求めて島に渡りたくなるんです。
撮影自体は、島に慣れた助監督さんがついていたおかげで、そんなに影響はなかったです。毎日の香盤表に潮見表まで書かれていて、天候を予測しながら、撮影スケジュールを組んでいきました。
ただ沖縄とはいえ1月は最も寒い時期で、その環境下での芝居のある水中撮影は大変でしたね。
そうですね。CGでうまいこと合成するやり方もあるのですが、生身の身体が海に浸かっていき、生身の人が深海で呼吸をする姿、深層心理のような異世界を描きたかった。盲目の貝類学者が、海の中では、視力があり、自然を感知し、呼吸もしているような幻想的なシーンを生身の身体で表現したいと思ったんです。
――ウミガメの撮影は苦労されましたか?
悔しいことに、試写を見た人からウミガメの資料映像を買ったんだろう、みたいなことを言われるんですよね(笑)。そうではなくて、この映画の為に、沖縄のロケ地である、渡嘉敷島の沖合で水中カメラマンに毎日のように潜っていただいて撮影したものなんですよ。渡嘉敷島はウミガメの生息する海域ではあるんですが、一月の寒い時期ですし、通常の撮影のように、電話して明日何時にウミガメさんスタンバイというような話ではなく。潜ってみて、ウミガメがいたら撮るという感じですから簡単ではなかったです。
貝が開くシーンは、一瞬の出来事をスローモーションで撮ったような感じですね。普段見ないようなものをどれだけ撮れるかにこだわりました。
物語の構成にしても、既視感のないものにこだわって作っています。日中の撮影は16ミリフィルムで撮影しまして、アナログなカメラなんですが。そこにノスタルジックな風合いがでるように、工夫をして撮影しました。デジタルではないので、フィルムという物質に島の情景を焼き付けるというか。光の向きによってまた色味が違うので、太陽の位置と人物の関係性にまでこだわってカメラウーマンの芦澤明子さんが撮っています。
那覇にある国指定重要文化財のなかで、撮影の許可がおりたので撮影しました。昔の古民家ですね。海に近い場所にあり、海風によって風化が激しいので、昔の家屋というのがどんどん新しく建て直されてしまうのであまり残っていかないんですよね。その中でも残っている貴重なお屋敷を借りて、撮影をしました。
古めかしきものと新しい物が混在したような世界観を作りたかったので、古民家、昔の家屋で撮影をしたかったんです。
冒頭近くの、貝類学者が杖をつきながら自分の家に向かって波打ち際を歩いているシーンです。学者の家は、身体を守るようなシェルターのイメージでデザインされていて、家に帰っていく様子が殻をなくしたヤドカリが歩いていく様子を彷彿させるように撮りました。作品を象徴するようなシーンになっていて、気に入ってます。
――撮影中、以前より沖縄を好きになりましたか?
そうですね。沖縄にいるだけで普段の憂鬱な気分の1.5倍くらいはテンションがあがりますし、冬は生ぬるい風が吹いてきて、センチメンタルな気分にもなります。夕日を見ていたら涙がこぼれるような景色もありますし、それに人があったかくて、南国的な陽気さを持った場所だと思います。食べ物も大好きです。
実際に食べたものではないです。実はあのスープを食べるシーンは、ロケハン中に行った基地の近くにあるバーのマスターが、子どもの頃に海を泳いで体験した、ちょっとグロテスクな話がきっかけなんです。「貝がなぜうまいのかというと――」と言った言葉が、これは使えるな、と思って脚本に採用したんです。凄い話だなと思って。
海外に行って母国を思い浮かべるとき、日本は一つの島である、ということを感じます。外国にいると自分の産まれた国のことを聞かれますし「私は日本人だ」と答える機会があります。そういった視点から作品を作るのは面白いと思うんですよね。日本人として作品を作るんですけど、場所なり考えなりアイデアなりは、日本に留まらない方が「日本人としてのオリジナリティ」をもっと生み出せるんじゃないかと思うんです。
日本の中だけでなく、色々な国の人と協力して作品を作ることも面白いし、今後増えるんじゃないかと思っています。
先日のロッテルダム国際映画祭は、既成概念にとらわれない自由な表現をした人たちの集まりだったので、そういうこだわりのある方と組んで、映画表現の可能性を探っていきたいし、作品を作れたら面白いと思います。
(STORY)
沖縄のとある小さな島。貝の美しさと謎に魅了された盲目の貝類学者(リリー・フランキー)は、家族と離れ、貝を兎集しながら一人静かな日々を過ごしていた。ある日、奇病に犯され右手が動かなくなった画家・いづみ(寺島しのぶ)が島に流れ着く。貝類学者がみつけた新種のイモガイの毒に刺されたいづみは、奇跡的に病が治る。やがて奇病を治療したという噂を聞きつけ、奇病の娘をもつ島の有力者・弓場や、慈善団体に所属する息子・光(池松壮亮)など、多くの人が貝類学者のもとに訪れ、人々の渦に巻き込まれていく。
映画『シェル・コレクター』
監督:坪田義史
出演:リリー・フランキー 池松壮亮 橋本愛/寺島しのぶ
音楽:ビリー・マーティン
原作:アンソニー・ドーア『シェル・コレクター』(新潮クレスト・ブックス刊)
(C)2016 Shell Collector LLC(USA)、『シェル・コレクター』製作委員会
2016年2/27(土)より、テアトル新宿、桜坂劇場他全国ロードショー!
坪田義史(つぼた・よしふみ)
1975年、神奈川県出身。多摩美術大学中に制作した映画『でかいメガネ』(00)が、映像アートの祭典「イメージフォーラム・フェスティバル2000」でグランプリを受賞。その後、70年代に「月刊漫画ガロ」などで活躍した安部慎一の傑作を映画化した『美代子阿佐ヶ谷気分』(09)で劇場デビューを果たす。虚構と現実を微妙なタッチで描いた唯一無二の作風は、第39回ロッテルダム国際映画祭コンペティション部門選出を皮切りに、数々の国際映画祭を席巻し海外でも高い評価を受けた。