そうです。籍をいれておらず、ちゃんとした家族になりきれない人たちが、一つの事件を通して本当の家族として再出発する、という物語を作りたいと思いました。テーマは間違いなく「家族」です。その中で柱となる「郁男」を演じてくださったのは香取慎吾さんですが、衣装合わせなどでお会いした時から香取さんは郁男だな、と感じていました。それは現場で再度お会いして、より強く思いましたね。僕の映画に出演する役者さんは、基本的にノーメイクでお願いしているのですが、素の感じでもイメージにぴったりでした。
そんなに多くはなかったですね。ただ、前後のシーンを入れ替えて撮影することになった時や、セリフの変更がある時は、その意図をきちんと説明しました。そのほかには、郁男は這い上がりたいという気持ちがあっても這い上がれない人間なので、「ひたすら堕ちてください」とお願いしました。そんな役なので、劇中にも笑顔のシーンはあまりなく、撮影の合間も笑顔ではいられない状況だったと思います。香取さんは笑顔が印象的な人なので、なんでこんな苦しい話にしてしまったのかと、少しだけ申し訳ない気持ちになりました(笑)。
他の作品でも僕はバイオレンスを描くことが多いのですが、怪我と表裏一体の撮影なので、怪我がないように気をつけました。でも現場が殺伐としていてもよくないので、それはいつも通りの感じでやりました。暴力シーンは、撮影側はもちろんですが、演じ手もどう撮られているかが分かっていないと迫力が出ません。香取さんは、それを全部分かって演じているので、香取さんに助けられたことも大きかったと思います。彼は、いま自分がどう撮られていてどう見えるのか、ということを凄く理解されています。
アクション部がいたので、そのアイデアももらいながら作り上げていきました。ああいったアクションはダンスに近いものがありまして、振り付けのようなものですから、香取さんは、ものにするのが早かったですね。「もう少しこうしたらより痛く見えます」ということも、言えばすぐに取り入れていただきました。やはり、あれだけのキャリアがあるのは凄いのだな、と思いました。アクションシーンは、流れ通りにできたシーンもあれば、張り切り過ぎでバランスを崩す、というのも面白いので、わざとそのテイクを使っているところもあります。
船は停まっていてくれないので、大変でした。でも幸運にも高波の日はほとんどなく、地元の漁師さんたちにもご協力いただけて、とても助かりました。『凪待ち』ということで「凪」のシーンが多いと思われているかとは思いますが、実はそれは僕の「天気運」によるもので。海が荒れているシーンがあっても良いかと思ったのですが、僕自身、天気運が凄く良いのですべて『凪』になってしまいました(笑)。映画の『凪』というのは心の中の『凪』なので、そういうシーンを撮ろうと思っていたのではないのですが(笑)。
僕は欲しい天気を呼び寄せてしまうんです。今回の作品では海の撮影が二度あり、ロケハンの時に良い感じの霧が出ていました。「撮影する時にも霧がでていたらいいな」と思っていたら、本当に撮影本番で霧が出てくれて! 僕の撮影現場は毎回そういう感じなので、「天気運」はやっぱりあるのだと思います。
亜弓の家は個人宅をお借りしていますが、あの崩れた石垣ギリギリまで波が来たそうです。その下はすべて流されています。家は残りましたが歪んでいまして、最初に訪れた時は玄関が開かない状態でした。石巻で撮影していますが、最初は大船渡が候補地でした。街の規模や震災からのダメージを考えて近くの石巻に変更しました。ロケ地が決まってからは地元の方や漁師さんに震災の体験談をリサーチしていく中で聞いたセリフを少しずつ作品にいれていきました。吉澤健さん演じる“勝美”は現地の方言を喋りますので、方言の強さなども吉澤さんと相談して決めていきました。
社会への怒りや、人間の愚かでは有るけれど愛おしいところが好きだからだと思います。どんな世の中でも映画の役割の一つは社会を描くことでもあるから、日本に暮らしているなら日本を描いていきたいという想いがあります。今回改めて東北に行ったら、防潮堤で海が見えない町になっていました。地元の人達が「本当に生きていきたい町ではなくなってしまった」と言っていました。そういう言葉は、誰かが届けなければいけない。ほんの一ミリでも。それが今、僕が映画の中でやることの一つだと思っています。
アイデアマンがいいです。それから、体育会系ということではなく、元気に挨拶できる人がいいですね。あとは、パワハラしない人、皆で楽しく仕事できる人が良いかと思います。
映画を作ることは、映画を観ることの100倍は面白いです。辛い思いや嫌な思いもしますが、僕は助監督時代から映画を作るのが楽しかったですね。ただ、これから「働き方改革」など日本全体で考えないといけないテーマも抱えています。それについては、映画を作りながら、皆がちゃんと仕事をやりやすい業界を目指していけばいいと思っています。映画が好きだったら映画界に来てほしいです。
そうです。籍をいれておらず、ちゃんとした家族になりきれない人たちが、一つの事件を通して本当の家族として再出発する、という物語を作りたいと思いました。テーマは間違いなく「家族」です。その中で柱となる「郁男」を演じてくださったのは香取慎吾さんですが、衣装合わせなどでお会いした時から香取さんは郁男だな、と感じていました。それは現場で再度お会いして、より強く思いましたね。僕の映画に出演する役者さんは、基本的にノーメイクでお願いしているのですが、素の感じでもイメージにぴったりでした。
そんなに多くはなかったですね。ただ、前後のシーンを入れ替えて撮影することになった時や、セリフの変更がある時は、その意図をきちんと説明しました。そのほかには、郁男は這い上がりたいという気持ちがあっても這い上がれない人間なので、「ひたすら堕ちてください」とお願いしました。そんな役なので、劇中にも笑顔のシーンはあまりなく、撮影の合間も笑顔ではいられない状況だったと思います。香取さんは笑顔が印象的な人なので、なんでこんな苦しい話にしてしまったのかと、少しだけ申し訳ない気持ちになりました(笑)。
他の作品でも僕はバイオレンスを描くことが多いのですが、怪我と表裏一体の撮影なので、怪我がないように気をつけました。でも現場が殺伐としていてもよくないので、それはいつも通りの感じでやりました。暴力シーンは、撮影側はもちろんですが、演じ手もどう撮られているかが分かっていないと迫力が出ません。香取さんは、それを全部分かって演じているので、香取さんに助けられたことも大きかったと思います。彼は、いま自分がどう撮られていてどう見えるのか、ということを凄く理解されています。
アクション部がいたので、そのアイデアももらいながら作り上げていきました。ああいったアクションはダンスに近いものがありまして、振り付けのようなものですから、香取さんは、ものにするのが早かったですね。「もう少しこうしたらより痛く見えます」ということも、言えばすぐに取り入れていただきました。やはり、あれだけのキャリアがあるのは凄いのだな、と思いました。アクションシーンは、流れ通りにできたシーンもあれば、張り切り過ぎでバランスを崩す、というのも面白いので、わざとそのテイクを使っているところもあります。
船は停まっていてくれないので、大変でした。でも幸運にも高波の日はほとんどなく、地元の漁師さんたちにもご協力いただけて、とても助かりました。『凪待ち』ということで「凪」のシーンが多いと思われているかとは思いますが、実はそれは僕の「天気運」によるもので。海が荒れているシーンがあっても良いかと思ったのですが、僕自身、天気運が凄く良いのですべて『凪』になってしまいました(笑)。映画の『凪』というのは心の中の『凪』なので、そういうシーンを撮ろうと思っていたのではないのですが(笑)。
僕は欲しい天気を呼び寄せてしまうんです。今回の作品では海の撮影が二度あり、ロケハンの時に良い感じの霧が出ていました。「撮影する時にも霧がでていたらいいな」と思っていたら、本当に撮影本番で霧が出てくれて! 僕の撮影現場は毎回そういう感じなので、「天気運」はやっぱりあるのだと思います。
亜弓の家は個人宅をお借りしていますが、あの崩れた石垣ギリギリまで波が来たそうです。その下はすべて流されています。家は残りましたが歪んでいまして、最初に訪れた時は玄関が開かない状態でした。石巻で撮影していますが、最初は大船渡が候補地でした。街の規模や震災からのダメージを考えて近くの石巻に変更しました。ロケ地が決まってからは地元の方や漁師さんに震災の体験談をリサーチしていく中で聞いたセリフを少しずつ作品にいれていきました。吉澤健さん演じる“勝美”は現地の方言を喋りますので、方言の強さなども吉澤さんと相談して決めていきました。
社会への怒りや、人間の愚かでは有るけれど愛おしいところが好きだからだと思います。どんな世の中でも映画の役割の一つは社会を描くことでもあるから、日本に暮らしているなら日本を描いていきたいという想いがあります。今回改めて東北に行ったら、防潮堤で海が見えない町になっていました。地元の人達が「本当に生きていきたい町ではなくなってしまった」と言っていました。そういう言葉は、誰かが届けなければいけない。ほんの一ミリでも。それが今、僕が映画の中でやることの一つだと思っています。
アイデアマンがいいです。それから、体育会系ということではなく、元気に挨拶できる人がいいですね。あとは、パワハラしない人、皆で楽しく仕事できる人が良いかと思います。
映画を作ることは、映画を観ることの100倍は面白いです。辛い思いや嫌な思いもしますが、僕は助監督時代から映画を作るのが楽しかったですね。ただ、これから「働き方改革」など日本全体で考えないといけないテーマも抱えています。それについては、映画を作りながら、皆がちゃんと仕事をやりやすい業界を目指していけばいいと思っています。映画が好きだったら映画界に来てほしいです。
(STORY)
毎日をふらふらと無為に過ごしていた木野本郁男(香取慎吾)は、ギャンブルから足を洗い、恋人・亜弓(西田尚美)の故郷・石巻に戻る決心をした。そこには、末期がんであるにも関わらず、石巻で漁師を続ける亜弓の父・勝美(吉澤健)がいた。亜弓の娘・美波(恒松祐里)は、母の発案で引っ越しを余儀なくされ不服を抱いている。実家では、近隣に住む小野寺(リリー・フランキー)が勝美の世話を焼いていた。
ある日、美波は亜弓と衝突し家を飛び出す。その夜、戻らない美波を心配しパニックになる亜弓。落ち着かせようとする郁男を亜弓は激しく非難する。「自分の子供じゃないから、そんな暢気なことが言えるのよ!」激しく捲くし立てる亜弓を車から降ろし、ひとりで探すよう突き放す郁男。だが、その夜遅く、亜弓は遺体となって戻ってきた。突然の死に、愕然とする郁男と美波――。
「籍が入ってねえがら、一緒に暮らすごどはできねえ」年老いた勝美と美波の将来を心配する小野寺は美波に言い聞かせるのだった。一方、自分のせいで亜弓は死んだという思いがくすぶり続ける郁男。追い打ちをかけるかのように、郁男は、社員をトラブルに巻き込んだという濡れ衣をかけられ解雇となる。「俺がいると悪いことが舞い込んでくる」行き場のない怒りを職場で爆発させる郁男。恋人も、仕事もなくした郁夫は、自暴自棄となっていく――。
出演:香取慎吾、恒松祐里、西田尚美、吉澤健、音尾琢真、リリー・フランキー
監督:白石和彌 脚本:加藤正人
配給:キノフィルムズ ©2018「凪待ち」FILM PARTNERS
2019年6月28日 TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー!
白石和彌(しらいし・かずや)監督
1974年、北海道旭川市出身。1995年、中村幻児監督主催の「映像塾」に入塾。以後、若松孝二監督に師事し、『17歳の風景 少年は何を見たのか』(05)などで助監督を務める。『ロストパラダイス・イン・トーキョー』(10)で長編監督デビュー。『凶悪』(13)で、新藤兼人賞金賞などを受賞。主な映画作品に『牝猫たち』『日本で一番悪い奴ら』(16)、『彼女がその名を知らない鳥たち』(17)、『孤狼の血』『止められるか、俺たちを』(18)、『麻雀放浪記2020』(19)などがある。