たまたまスケジュールが空いている時にオファーがきた短編の作品でした。はじめは題材どうこうよりも、制作予算も限られる深夜枠のドラマを自分が制作者の意に沿うように作品をつくれるのかという自問がありました。でも漫画『深夜食堂』を読んでみて「ひょっとしたらこれだったらなんとかなるかな」と考え始めたのがきっかけだったと思います。結果的に、少しずつ話題になっていきました。今にして思うと“テレビドラマと映画の作り方の差異” すら意識することなく、深夜枠の短編を自分なりの世界に仕上げようと集中していたのでしょうね。
視聴者の皆さんは『深夜食堂』に昭和のテレビ番組のような、どこか懐かしいものを感じたのではないかと思います。ゴールデンタイム番組に比べれば制作の自由度が広い深夜枠ということで、僕がやりたいようにやったことが視聴者にはにとって新鮮に見えた部分もある。それがマニアックな層にも受けたのかも。昭和を知らない今の若者世代は、この作品には良く言えば“郷愁を感じる”のでしょう。
そして『映画 深夜食堂』を作ったとき、今度はシニア世代が劇場に来てくれた。つまり、客層の年齢が広がりを見せはじめた。市井の人々が繰り広げる人情群像劇を面白く見てくれる観客が増えているのかなと思ってます。
俳優のみなさんが実力者ばかりなので独特な雰囲気が出ているのだと思います。演じているのではなくて、まさにそこに本当に食べに来たのではないか、と感じさせるところがあるんです。
僕は“めしや”を告解室と呼んでいます。マスターは神父で(笑)、店に来た人たちは聞かれたわけでもないのに自分が背負っていた何かを話し出す、そういう場所です。その辺は、演出家として面白く観察しています。常連さんが和気あいあいとしている中、新たに参加したゲストの方たちは結構緊張しています。あのこだわり尽くした“めしや”のセットを目の当たりにして(笑)。
今作では、境遇も年齢も全く違う女性たちの人生の節目を、3つのオムニバスドラマで描いています。ゲストによって色々な面が見えてくると思いますよ、まるで合奏のような。
1つめは「やっといい人が見つかったと思ったら、相手は香典泥棒だった」という体験をした女性が、そのアクシデントにより自分が守ってきたものや性格に気づく話。2つ目は、自分はうまく子育てをしたと思っていたのに、実は自分が子離れできていなかったことを実感する母親。3つ目は、大きな罪を背負いながら生きてきた女性が、老齢になって少し肩の荷をおろすという話です。
一生懸命生きながらも何かを抱えていた女性たちが、その背負っていたものを少し自分の傍らに置くストーリーを、樋口一葉の「にごり絵」を参考に展開しています。
ゲストとの絡みから新しさを感じる部分もあると思います。例えば、1つ目の“焼肉定食”の話では佐藤浩市さん演じる男性が登場しますが、彼がどんな人間なのかというのが見せ所です。男は結構いいセリフを言うけれど実は何も考えていないようなところがあり、言葉と男自身が密接に結びついていません。衣装合わせの時に佐藤浩市さんが「よく考えるとこの男、怖いよね」と言ったのがまさにその通りで。それを聞いた時は、「佐藤さんはもう役の意図を読み取っていただいているな」と思いました。この話は見てのお楽しみですね。
映画の冒頭は視聴者がいつも思っている『深夜食堂』のドラマ風のテイストが出ているので、観客は今まで通りだと感じるでしょうが、そこに新しい人物が出てくることで「始まったな。これまた新しい『深夜食堂』かな」と、作品の中に導かれていく。そうなってほしいですね。
撮影中は、家賃をお支払いして、倉庫の中にそのままセットを置いています。今回の映画では、“めしや”の近くにアパートの外階段を新たに作りました。3度目ぐらいのバージョンアップです。まるで本物ような街並みですが、映画の中にしか存在しないファンタジーの場所なわけで、それが観客には心地良いはずです。
外ロケに出ると繋がりに悩むことはあります。「この空間が、あの“めしや”に繋がるんだ」ということは必ず念頭に入れてスタッフとロケハンをしました。前回もそうだったのですが、物語展開の中で開放感が欲しかったので、外ロケを意識して組み入れました。“めしや”とその界隈ばかりではなくて、実際の街並みが現れることで物語に広がりが生まれたと思います。
実際の場所で撮影することと、セットの撮影とのバランスは、シナリオの段階で考慮しないといけません。各エピソードのクライマックスを“めしや”の中に持ってくるか、ロケーションに持っていくか。いずれにしても、ロケに出ることで生活感が増して、現実味を帯びたと思います。
また、僕自身が演出に入れたくなるポイントとして「方言」があります。たとえば常連役の谷村美月さんに関西の女性役をやってもらっているのですが、東京以外で生まれ育った人が“めしや”を訪れて土地の言葉で会話することで人間関係に波紋がひろがるという構成はドラマに深みや陰影を与えているのではないでしょうか。
今回の『続 深夜食堂』だと、キムラ緑子さんと池松壮亮くん親子が営む蕎麦屋が出てくるのですが、昔風の趣がある店でとても良かった。そこの実際の女将さんがとてもいい人で、ありがたかったです。の「ボク」が住んでいた九州の炭鉱のそばですね。実際は宮城県に取り壊し寸前の社宅があって、工事をするのを待ってもらって撮りました。そこを美術で飾って、前半の話はそこで全部撮りました。ロケ場所自体が持つ本物の歴史が、映画の強度を高めました。あのときの地元の協力体制は最高でしたね。
“まちおこし”ということで地方撮影するだけではダメだと思うのです。映画になったとき、ロケーションが内容と合っていて、その作品にとって不可欠な要素になっていれば、それが成功ではないでしょうか。
そういうことを汲み取って、制作者はフィルムコミッションと今後やっていくことになると思います。
たまたまスケジュールが空いている時にオファーがきた短編の作品でした。はじめは題材どうこうよりも、制作予算も限られる深夜枠のドラマを自分が制作者の意に沿うように作品をつくれるのかという自問がありました。でも漫画『深夜食堂』を読んでみて「ひょっとしたらこれだったらなんとかなるかな」と考え始めたのがきっかけだったと思います。結果的に、少しずつ話題になっていきました。今にして思うと“テレビドラマと映画の作り方の差異” すら意識することなく、深夜枠の短編を自分なりの世界に仕上げようと集中していたのでしょうね。
視聴者の皆さんは『深夜食堂』に昭和のテレビ番組のような、どこか懐かしいものを感じたのではないかと思います。ゴールデンタイム番組に比べれば制作の自由度が広い深夜枠ということで、僕がやりたいようにやったことが視聴者にはにとって新鮮に見えた部分もある。それがマニアックな層にも受けたのかも。昭和を知らない今の若者世代は、この作品には良く言えば“郷愁を感じる”のでしょう。
そして『映画 深夜食堂』を作ったとき、今度はシニア世代が劇場に来てくれた。つまり、客層の年齢が広がりを見せはじめた。市井の人々が繰り広げる人情群像劇を面白く見てくれる観客が増えているのかなと思ってます。
俳優のみなさんが実力者ばかりなので独特な雰囲気が出ているのだと思います。演じているのではなくて、まさにそこに本当に食べに来たのではないか、と感じさせるところがあるんです。
僕は“めしや”を告解室と呼んでいます。マスターは神父で(笑)、店に来た人たちは聞かれたわけでもないのに自分が背負っていた何かを話し出す、そういう場所です。その辺は、演出家として面白く観察しています。常連さんが和気あいあいとしている中、新たに参加したゲストの方たちは結構緊張しています。あのこだわり尽くした“めしや”のセットを目の当たりにして(笑)。
今作では、境遇も年齢も全く違う女性たちの人生の節目を、3つのオムニバスドラマで描いています。ゲストによって色々な面が見えてくると思いますよ、まるで合奏のような。
1つめは「やっといい人が見つかったと思ったら、相手は香典泥棒だった」という体験をした女性が、そのアクシデントにより自分が守ってきたものや性格に気づく話。2つ目は、自分はうまく子育てをしたと思っていたのに、実は自分が子離れできていなかったことを実感する母親。3つ目は、大きな罪を背負いながら生きてきた女性が、老齢になって少し肩の荷をおろすという話です。
一生懸命生きながらも何かを抱えていた女性たちが、その背負っていたものを少し自分の傍らに置くストーリーを、樋口一葉の「にごり絵」を参考に展開しています。
ゲストとの絡みから新しさを感じる部分もあると思います。例えば、1つ目の“焼肉定食”の話では佐藤浩市さん演じる男性が登場しますが、彼がどんな人間なのかというのが見せ所です。男は結構いいセリフを言うけれど実は何も考えていないようなところがあり、言葉と男自身が密接に結びついていません。衣装合わせの時に佐藤浩市さんが「よく考えるとこの男、怖いよね」と言ったのがまさにその通りで。それを聞いた時は、「佐藤さんはもう役の意図を読み取っていただいているな」と思いました。この話は見てのお楽しみですね。
映画の冒頭は視聴者がいつも思っている『深夜食堂』のドラマ風のテイストが出ているので、観客は今まで通りだと感じるでしょうが、そこに新しい人物が出てくることで「始まったな。これまた新しい『深夜食堂』かな」と、作品の中に導かれていく。そうなってほしいですね。
撮影中は、家賃をお支払いして、倉庫の中にそのままセットを置いています。今回の映画では、“めしや”の近くにアパートの外階段を新たに作りました。3度目ぐらいのバージョンアップです。まるで本物ような街並みですが、映画の中にしか存在しないファンタジーの場所なわけで、それが観客には心地良いはずです。
外ロケに出ると繋がりに悩むことはあります。「この空間が、あの“めしや”に繋がるんだ」ということは必ず念頭に入れてスタッフとロケハンをしました。前回もそうだったのですが、物語展開の中で開放感が欲しかったので、外ロケを意識して組み入れました。“めしや”とその界隈ばかりではなくて、実際の街並みが現れることで物語に広がりが生まれたと思います。
実際の場所で撮影することと、セットの撮影とのバランスは、シナリオの段階で考慮しないといけません。各エピソードのクライマックスを“めしや”の中に持ってくるか、ロケーションに持っていくか。いずれにしても、ロケに出ることで生活感が増して、現実味を帯びたと思います。
また、僕自身が演出に入れたくなるポイントとして「方言」があります。たとえば常連役の谷村美月さんに関西の女性役をやってもらっているのですが、東京以外で生まれ育った人が“めしや”を訪れて土地の言葉で会話することで人間関係に波紋がひろがるという構成はドラマに深みや陰影を与えているのではないでしょうか。
今回の『続 深夜食堂』だと、キムラ緑子さんと池松壮亮くん親子が営む蕎麦屋が出てくるのですが、昔風の趣がある店でとても良かった。そこの実際の女将さんがとてもいい人で、ありがたかったです。の「ボク」が住んでいた九州の炭鉱のそばですね。実際は宮城県に取り壊し寸前の社宅があって、工事をするのを待ってもらって撮りました。そこを美術で飾って、前半の話はそこで全部撮りました。ロケ場所自体が持つ本物の歴史が、映画の強度を高めました。あのときの地元の協力体制は最高でしたね。
“まちおこし”ということで地方撮影するだけではダメだと思うのです。映画になったとき、ロケーションが内容と合っていて、その作品にとって不可欠な要素になっていれば、それが成功ではないでしょうか。
そういうことを汲み取って、制作者はフィルムコミッションと今後やっていくことになると思います。
(STORY)
マスター(小林薫)の作る味と居心地のよさを求めて、毎夜常連の客たちが集まる“めしや”。ある夜、喪服姿の範子(河井青葉)が店を訪れる。何もなくても喪服を着るのがストレス発散という彼女は、ある葬儀で出会った男(佐藤浩市)に惹かれていくが…。一方、そば屋の女将・聖子(キムラ緑子)は、息子・清太(池松壮亮)の頼りなさを嘆いていたが、清太は年上の恋人・さおり(小島聖)との結婚に悩んでいた。そして、お金に困った息子に呼ばれ、上京した夕起子(渡辺美佐子)は、周囲から詐欺に遭ったのではと心配されても、気にする様子はなく…。
監督:松岡錠司
原作:安倍夜郎「深夜食堂」
(小学館「ビッグコミックオリジナル」連載中)
出演:小林薫、佐藤浩市、池松壮亮、渡辺美佐子、
多部未華子、オダギリジョー ほか
11月5日(土)より全国ロードショー
©2016安倍夜郎・小学館/「続・深夜食堂」製作委員会
松岡錠司(まつおか・じょうじ)監督
1961年生まれ。愛知県出身。90年に映画『バタアシ金魚』で長編映画監督デビュー。ベストセラー小説を映画化した『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』で、第31回日本アカデミー賞作品賞と監督賞を受賞。ほか監督作は『さよなら、クロ』(03)、『歓喜の歌』(08)、『スノープリンス 禁じられた恋のメロディ』(09)など。