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監督自ら避難所で生活をしながら向き合い見えた、誰も知らない“被災地のリアル” ドキュメンタリー映画『風に立つ愛子さん』藤川監督にインタビュー

2025.01.27
監督
藤川佳三さん

2011年の東日本大震災で石巻の家を津波に流された村上愛子さんの、震災後の8年間を見つめ続けた記録をまとめたドキュメンタリー映画が2025年2月22日より公開される。

今回は、自ら半年間の避難所生活をおくりながら、愛子さんそして被災地と向き合ってきた藤川佳三監督にインタビュー

ドキュメンタリーとして今作を撮ろうと思った経緯は何でしょうか?
―今回の作品は愛子さんを追いかけた計8年間を観させていただいたという形ですが、恐らく藤川監督の前作『石巻市立湊小学校避難所(2012年8月公開)』からの繋がりだったと思います。改めて今回、愛子さんをメインにしてドキュメンタリー映画を制作しようと思った理由、『風に立つ愛子さん』という作品として形に残そうと思った理由をお伺いしたいです。

 前作の『石巻市立湊小学校避難所』と今回の『風に立つ愛子さん』の作品は2部作だと思っているので、そのためには前作の話からしないといけない部分があると思います。
 避難所の映画は、2011年に起こった東日本大震災後の半年間の集団生活を映画にしたものです。そこでは意識的に立場の違う人たちを選んで出演していただきました。例えば三代に渡り90年続く床屋さんをやっている人、小学生、福島からボランティアに来ていた方などです。その中でやはり愛子さんは、一人暮らし且つ高齢の女性という立場であり、出演を依頼した理由の一つはそこにありました。避難所の映画を2012年に公開し、全国で上映しましたが、この作品の公開が終わってから、自分の中でも収まりがつかないなという風に思いました。映画の公開は一区切りだけど、自分が被災地になってしまった石巻とこれからどう繋がっていくべきなのか、もっとやるべきことがあると思いました。

 まだ2012年度時点では、震災の復興は遠い道のりだったので、自分なりに考えた時に、1人暮らしの高齢者の人がこれから仮設住宅に住みどうなっていくのか、どう生活していくのかを見つめたいという思いがすごくありました。ただ、その時はまだ明確に作品になるかはわからず、とにかく自分が接点として、現地と向き合いながら撮影を続けていくうちに、今作の形になったという感じでしたね。「絶対作品にするぞ」みたいなことではなかったというか。

―現場で愛子さんと接していくうちに、作品としての形が出来上がってきたのですね。

 そうですね。今作では愛子さんが避難所で出会ったゆきなちゃんという小学4年生の子と心を通い合わせる姿や、津波で家が流されて大変なときでも、避難所で家族のような心の交流みたいなものが描かれています。愛子さんは結構お喋りをする人でして、人生を俯瞰するような話をするので、どういう人生を送ってきたのかということを知りたいと思うようになりました。

―愛子さんは、津波のことを「津波様」というぐらい、震災の被害にあったご自身の体験を少し違った視点で見られていますよね。

 津波様という言葉を使う人は誰もいないですよね。この映画を見た人でも、「そんな人は見たことないですよ」と皆さんおっしゃいますし、そこに込められた意味は、意味深ではあるんだけど、実は重要な意味があると思っています。
 言葉尻だけを取ると誤解されてしまいます。愛子さんは、どこか孤独で寂しさを抱えていますが、だからこそ人と人との繋がりを大事にしています。それが避難所という象徴的な場所でした。愛子さんはそこでの出会いをすごく大事なものとして捉えています。愛子さんの表現で、独特な言葉を使うのですが、なぜその言葉を使うのか、愛子さんの心の背景がわかってきた時に、心に迫ってくるものがありました。

今作を撮るために、半年間避難所で自らも生活をするほどまでに至った理由は何でしょうか?
 きっかけは一番初めに避難所に行ったときに、ある小学生のお母さんに声をかけられたことです。
 僕がカメラを持っていたら「あなたは何しに来たの?」と聞かれたんですよ。「どういう場所か見たかった」ということを言ったらその後、「ここに来る以上、何か持ち帰ってもらいたい。テレビや新聞で報道されている以外の話がいろいろある。」と言われたんです。それで2時間ぐらい喋って、リアルな震災直後の話、津波がきたときの話しや、その後の話をたくさん聞きました。「それを伝えてほしい」と言われました。知ってほしいと。

 そのときに、何か力になりたいという気持ちが生まれてきました。

 あと驚いたのは、現地の方々が明るかったんです。それは後からわかるのですが、明るくしようと意識的にそうしていたんです。図書室でお母さんたちと子供たちがよさこいを踊ったりして、みんな本当にキャッキャ言いながらやっている姿を見てちょっと驚きました。
 あるとき、すごく綺麗な花を持ってきてくれた人がいて、津波で町全体が土色だった中でしたから、その鮮やかな赤い花を花瓶にさしたんです。そうしたら、風景がぱっと明るくなったんです。それを見て、お母さんたちが泣き始めたんですよ。「綺麗ね」って。その瞬間に、この様子をここで撮影して伝えるべきだと思いました。

 だから僕は自発的に撮りたいということではなくて、感情が動いたことがきっかけでドキュメンタリーの撮影を始めることになりました。
今回と前作の2部作において、石巻や仙台での撮影において現地の方々の協力はありましたか?
 前作の避難所の映画は、最初はとても難しかったですが、避難所のリーダーの方に許可をいただき、あと班長会議という朝に各教室の代表者みたいな人が集まる朝会みたいなものがあるのでそこに毎日出席して、取材で入りますといった挨拶をして撮影させてもらいました。

 新作の映画では、今の再開した湊小学校の教室を撮影させてもらいました。避難所だった時に通ったのと同じ教室です。湊小学校の教頭先生には大変お世話になりました。教頭先生に「新たに今回こういう愛子さんをメインにした続編の映画を作るので教室の風景を撮らせてください」とお願いしました。

撮影中のこだわり・意識した点は何ですか?
 やっぱり人の気持ちに寄り添うようなものを作りたかったので、とにかくそばにいて気持ちを理解していくことですかね。そこで時間をずっと過ごすと、なぜその人がそういう行動をするのか、なぜこの人はこういうことを言うかということが自然と分かってくるのです。だからできるだけ長くその場所にいることを意識しました。
今作をどんな人に観てほしいですか?
 若い方がこの映画を観てどんなふうに感じてくれるのか、というのはすごく気になっています。震災を想像してもらえるのだろうか、と。作り手の思いとしては、震災はまだ終わっていない、ということを強く伝えたいと思っています。

 建物はまた立て直すことができても、心というのは傷を負ったままです。心が取り残されているようにも思います。震災の映画は様々ありますが、まだ心が描かれてないんじゃないかという意識が僕の中にはあって、やっぱりそういうことに気づいてほしいし、知ってほしいなと思います。

 あとは一人暮らしの高齢者が日本ではとても多くなっています。映画の主人公の愛子さんは、被災する前からも一人暮らしでした。震災の後も一人暮らし。でもそこには大きな違いがあります。高齢者で住まいを移す事は、大きなダメージになります。高齢者の方の一人暮らしが、どんなものなのか。人生の晩期を迎えた時に、何を考えるのか。なかなか見えづらいと思います。愛子さんの人生を通してその思いを感じ取ってほしいです。

 結局イメージの震災ではなくて、1人1人の震災なので、そんなふうにちょっと想像してもらえたら嬉しいなと思います。

藤川監督がドキュメンタリーを撮るようになったきっかけ・劇場映画やドラマとの違いを教えてください。
 僕がドキュメンタリーを撮り始めたのは、世界を知りたい、知らないことを知りたいと思ったことが始まりでした。
 今作だと、愛子さんだけの話をしているのにもっと大きい普遍的な話をしているように聞こえくるのです。それが人様に聞いてもらいたい話や、想像してもらいたい話などになっていくんです。つまり、自分の心が動くコトやモノ・ヒトを伝えたい、それを作品にしているといった感じです。

―普通の劇場商業映画とドラマの制作にも携わっていると思うのですが、全然違いますか?

 少し違いますね。フィクションとノンフィクションの両方の仕事をしている人は珍しいかもしれません。ドラマとか映画は商業作品でエンタメなので、物語の世界をより広げるために仕事をしています。若い頃は主観で作品を選んで、面白い映画になるよう心を捧げるみたいなこともありましたが、今はスタッフとして物語のクオリティを上げるために苦心しています。ドキュメンタリーを作る時は、自分自身の生き方に直接関わってくるので、もう少し個人的になっています。作品と自分がシンクロする部分も多いです。
普段の作品作りの際にロケ地を選ぶポイントはありますか?
 やはりイメージがその設定に合うっていうことが大前提なので、そこが入口ですね。また、撮影する場所だけじゃなく、駐車場や食事場所、機材を置く場所など、そういうスペースがあるかも見ています。

 また、地方での撮影時は持ちつ持たれつを意識しています。僕らは場所として使いたいし、自治体の人たちはそこを利用してもらうことで、その場所が有名になったり、お金を落としてもらったりという、お互いのメリットをうまく協力してやるシステムだと思っています。場所によって特色があり、その場所での考え方があるのでそれを理解しながら仕事するようにしています。でもやはり人間同士なんですよね。協力してやりましょうという感じです。
最後に、これから映像制作を志す若者に向けてメッセージをお願いいたします。
 やはり人と人との付き合いを大切にしましょうということですかね。自分だけで考えないで、人に相談したり、また人に頼ったりとか、そういう付き合いで考えた方がいい作品になると思います。

 過去に瀬々敬久監督の『菊とギロチン』という映画を製作した際に、地方であるお堂のようなものを探したときに、その地域のフィルムコミッションの方が、協力を仰ぐためのメーリングリストのようなものを使って、「こういうイメージのお堂を探しています」と流してくれたんです。そこで見つかった。地元の人にもあまり知られていないようなお堂で無事撮影ができたということがありました。すごいですよね。その方たちの協力で見つかったんですよ。とてもありがたかったです。

 そういった素晴らしい出会いもあるので、周りの人を頼りながら作品作りをしてほしいです。
作品情報
映画『風に立つ愛子さん』
出演:村上愛子、石川ゆきな、港小学校避難所の人々、石巻市仮設住宅の人々
監督・撮影:藤川佳三
実景撮影:田中創
整音:黄永昌
編集:今井俊裕
音楽:植田智道
仕上げ:田巻源太
協力プロデューサー:藤田功一
製作:IN&OUT
配給:ブライトホース・フィルム
宣伝:大久保渉
デザイン:中野香
予告編制作:北川帯寛
特別協力:石巻市立湊小学校
文化庁「ARTS for the future!2」補助対象事業 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルコンペティション入選作

公開日:2025年2月22日

【あらすじ】
東日本大震災の津波に家を流された天涯孤独の老齢女性が、避難所から仮設住宅、復興住宅へと移り住んだ8年間を記録したドキュメンタリー。

2011年の東日本大震災で、宮城県石巻市の家を津波に流されてしまった当時69歳の村上愛子さん。天涯孤独だった彼女にとって、避難所での集団生活は、それまで知りあうこともなかった近隣の人々と寝食を共にし、心のつながるかけがえのない時間だった。その後、愛子さんは仮設住宅で7年を過ごし、復興住宅へと移るが、数カ月後に亡くなってしまう。

2012年公開のドキュメンタリー「石巻市立湊小学校避難所」の藤川佳三監督が、避難所で出会った愛子さんの明るく奔放な性格に魅了されて取材を始め、断続的に石巻に通いながら8年間に渡って彼女の姿を記録。東北で生きたひとりの女性の人生を通し、高齢者の独り暮らしとそれに伴う孤独死の問題、そして被災について考える。

【プロフィール】
藤川 佳三監督
1968年香川県生まれ。中央大学社会学科卒。映画を志し、映像業界に入る。以後劇映画、テレビの仕事に従事する。
2001年自主企画で「STILL LIFE」を製作。PFFで入選。2005年離婚した妻や家族と向き合うセルフドキュメンタリー映画「サオヤの月」を発表(劇場公開)。2012年東日本大震災で宮城県石巻市の避難所に半年住み込み制作した「石巻市立湊小学校避難所」を発表。全国で公開された。また台湾ドキュメンタリー映画祭、ドバイ映画祭に招待された。映画「菊とギロチン」(2018年瀬々敬久監督作品)プロデューサー。著書に「石巻市立湊小学校避難所」(竹書房新書)
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