どのようにして昭和の映像を再現しているのでしょうか?機材?それとも編集?
実は地道な編集作業で生み出しています。撮影機材は一般的にバラエティー番組で使うような最新のものです。それで撮った素材を何回も何回も書き出してあの雰囲気にしています。
出力して設定を変えて書き出すと画質が悪くなります。それをひたすら手動で繰り返し、物理的に画質を落としています。デジタルの力を駆使して実はめちゃくちゃアナログで面倒くさいことをやっています笑。
―テロップもこだわりがあるのだとか。
今回のタイトルは僕が筆ペンで書いたもので、テロップの文字は人一倍こだわりました。エンドロールも、実は手間がかかっています。今の明朝体と当時の明朝体って、デザインが微妙に違うんです。当時の写植機を持っている方にお願いして、印字してもらった紙をスキャンし、字の間隔を調整して使っています。最近は昭和再現ものが多いですが、「フォント周り」が適当だとつい気になってしまうんですよね笑。
―西井さんはリアルタイム世代ではないですよね。何か参考にされたのですか?
もちろん昔の2時間ドラマはたくさん観て、そこで掴んだ基本的なフォーマットを踏襲する形にしました。その中に「ここで一旦整理しましょう」や「最後は崖」など、“2時間ドラマあるある”をいかに入れ込めるかというのが今回のミッションでした。
古いセリフの言い回しをたくさん脚本に書きました。劇中、友近さんが「ナイス!」と言う決めゼリフがあるのですが、あれは友近さんのアイディアで加えました。本当に二人三脚で進めたという感じですね。
愛媛でのロケについてお聞きします。途中で流れるCMが実在の企業だと知り驚きました。そのスポンサーやロケ地探しはどのようにされたのですか?
ロケ地探しと営業を一緒にやっていました。友近さんは愛媛をすごく大切にしておられるし、そこでの交友関係やネットワークが本当にすごいんです。コマーシャルは、友近さんの講演会によくいらっしゃる企業の方などから賛同を募り、制作しました。動画バージョンと静止画バージョンでちゃんと金額も違うんですよ。地道に少しずつお金と協力を集めていきました。
―特に印象に残ったロケ地や協力してくれた人はいますか?
山のようにいます。特に協力してくださったのは、やはりホテルです。撮影隊の拠点兼ロケ地として、友近さんが普段から親しくされている「奥道後 壱湯の守(松山市)」さんに協力いただきました。
スタッフとキャスト合わせて30人以上のロケ隊だったので、宿泊費が大変なんです。タイアップ協力や食事の提供をしてくださり本当に感謝しかありません。味があって最高にいいホテルなんですよ。
他にも、ロバート秋山さんの親戚の方が愛媛県の幅広い企業と関係があったこともあり、そちらからも協力いただきました。ロケ弁の手配には友近さんのお母様が動いてくださったりと、本当に全員野球でした。