ロケ場所に求めることはありますか?
こちらから何かを望むというよりは、地域の皆さんの迷惑にならないことが一番だと思っています。また、撮影や完成した映画が、お世話になったそのロケ地の方々やその土地や街のなにかしらのプラスになればなあ、と思っています。
日常をある意味で非日常にしてしまう撮影って、普段生活している人にとっては迷惑だったりする部分もあると思います。ただそう思わず、お互いに楽しめる場所になったり、撮影自体を楽しんだり、後々その場所が聖地になるなど、撮影したことが地元のプラスになるということが一番理想だと思います。
普段、その道を使って通勤・通学、生活している人の中には、撮影で道を塞ぐことを嫌がる住民の方がいてもおかしくない。というか、普通に嫌ですよね。正直、関係ないですから。だから、できるだけお互いに楽しめる空間になったり、その非日常を楽しんでもらえたり、後々その場所が聖地になるなど、撮影したことが地元のプラスになるということが一番の理想だと思います。
ですので、こちらが求めることは特にないです。撮影はロケ地にとってプラスの部分もマイナスの部分もあると思う。それを忘れることなく、協力してもらうことを当たり前だと思わず、映画をつくっていきたいです。
最後に、映像制作者、映像業界、監督を目指す若い方世代の方々にメッセージをいただけますか。
普段生活している“なんてことない場所”にも興味を持ってほしいですね。映画『街の上で』を撮った時に、自分が本当に普段から通っている下北沢の飲食店や路地で撮影をしたんです。
住んでいる場所とか、生活している町とか、自分が身近に感じている場所って、撮影場所とはかけ離れた場、創作と別の空間、と捉えているかもしれません。ですが、普段の生活している場所とか、極端な話、自分が住んでいる部屋とか、そういう場所を切り取るならどういう目線になるのかなって考えるだけでも、創作のプラスになると思います。私自身、自主映画はずっと自分の家と近所の公園で撮影していたので。
場所に関してだけではないです。アルバイト生活などもそう。例えば、なかなか映画をつくれずにアルバイトをしているとします。でも、その日々はなんら創作からはかけ離れた時間ではないのです。もし、バイト先が接客業でレジをうっているとします。そのレジという作業を知っているのと知らないのとでは演出力も変わりますし、その“ただ生活している”日常のひとつひとつの出来事が、映画をつくる時に全部プラスになる。その感覚を自分は持っています。だから、あの時間は無駄だったとか、あれは損したとか、そういう風には考えないようにしています。監督だけじゃなく俳優とかもそうなんですけど。ずるい仕事だと思っています。マイナスとか無駄と思えることが、すべて使える仕事なので。なので、今は日々がうまくいかないと思っていても、腐らずにその日々に敏感に過ごしてほしいです。
―――ありがとうございました!!