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ホーム > 映像関係者の声 > 監督インタビュー > 役者も命がけのエヴェレスト登山ロケ「ドキュメントに近かった」/脚本を読み込んでスタッフの意識統一を

役者も命がけのエヴェレスト登山ロケ「ドキュメントに近かった」/脚本を読み込んでスタッフの意識統一を

2016.03.07
映画監督
平山秀幸さん
映画『エヴェレスト 神々の山嶺』の制作で意識されたことは何ですか?
映画『エヴェレスト 神々の山嶺』の制作で意識されたことは何ですか?

 8800mの世界をどう見せるかを突き詰めました。

 2年前からロケハンで2回3回とエヴェレストに行って、そのとき無事に帰って来られたから本番につながった、という感じです。エヴェレストに実際に行った時、「わかりづらい山だな」と思いました。山が大きすぎてある高さまでいかないと「これがエヴェレストだ」という全体の形が見えてこないんです。8000m級で撮影ができるかというと、映画のロケでは厳しいものがあります。できるだけ近い空気を画の中に持ってくるために、昨年3月に出演者、スタッフ、ポーターの総勢100人超のキャラバンで、エヴェレストの5200m地点まで登りました。4000mを超えると色がなくなるんです。岩だけのモノクロの世界。あとどうやって現地の音、その世界で吹く風の音を再現するのかというところが肝かなと思いました。

キャスティングは、体力的な面も考慮して決定したのですか?

 3人(岡田准一・阿部寛・尾野真千子)ともタフだろうとは思っていました。

 大きな荷物はポーターさんに預けますが、役者さんも自分の身の回りの荷物は持ちます。エヴェレストではまず、頼ろうっていう発想がダメですね。「水ちょうだい」じゃなくて、水も糖分も自分で確保する。だから、禁欲的になっていきますよ。実際、俳優さんも禁欲的で、プロの登山家の言うことにちゃんと従って、ワガママを言うこともありませんでした。それは当たり前のことだけれど、すごく大事なことだったと思います。

エヴェレストに登ってから撮影の10日間、宿泊や食事はどうされたのですか?

 エヴェレストでもロッジはあります。けれども、環境が良くない。世界で一番高いところにある、最後のロッジです。ロッジは何軒かあるんですが、そのうちの一軒を使いました。外は基本的に零下だし、ストーブの燃料の限界があるので、夜8時にはストーブが落ちます。そうするとやることないから全員、ひたすら寝袋の中で縮こまっていました。

 食事は、ネパールの地元の人たちが食べているものと同じ物ですね。ネパールは、カレーや豆のスープなど、香辛料の料理なのですが、時々気を遣ってもらって、日本風のカレーが出てきました。じゃがいもと人参と鶏肉など見た目は同じですが…でもなんか味が違いましたね。(笑)

エヴェレストでは1日どれぐらいの時間、撮影ができるのですか?

 天気が一番関係します。午前中は晴れていても午後は間違いなく曇る。朝の6時頃から動き出して、午後3時前には撮影が終わるという感じでした。撮影では天気を待つことがよくありますが、5,000~5,600mの場所での天気待ちというのは新鮮でしたね。晴れた方がもちろん撮影はできますが、晴れすぎると全部が合成に見えてしまうぐらい空気が澄んでいて、それもまた困るという(笑)、贅沢ですよね。撮影では、遠くにエヴェレストが見えるエヴェレスト街道といういいポジションがあるんですが、天気が良くてそこでは見事に撮影することができました。

登山に対して、何か大変なことはあったでしょうか?岡田さんや阿部さんのエヴェレストでの様子はどうでしたか?

 基本的に効率とか時間の節約とか考えると、俳優さんをヘリコプターでひょいっと運んでしまった方が良いのですが、それをやると一発で高山病になってしまいます。だから延々と全員歩きで登りました。

 もちろん、役者さんたちはカメラを向けて登っている時は登場人物として登っていますが、カメラ関係なく、役と本人の基本的なことがシンクロしている感じがしましたね。ドキュメントに近かったと思います。みんな本当に顔つきが変わりました。醸し出す雰囲気が都会とは全然違いました。

映画では山の素晴らしさを描き出すことが多いですが、危険もありますよね。特に意識して気をつけたことはありますか?

 過酷な環境で撮影をしなくてはいけないので、やっぱり臆病になることが第一かと思いますね。ちょっと動くにも慎重になることが大切でした。普段の撮影現場では「走れー!」なんていうこともありますが、山の上では走っちゃいけないんです。急いで動くことがダメで、帽子一つひょいっと飛んでも取りに行く気になれません

 それぐらい、危機感をもって仕事をしていたと思います。ネパールの言葉で「ビスタリ」っていう「ゆっくり」という意味の言葉があるんですが、撮影の基本はこれでしたね。

宮川(ピエール瀧)の務める岳遊社でのシーンは、時代設定をあわせるために神奈川県川崎市の工場がロケ地に選ばれたそうですね

 原作が1995~96年なので25,6年ほど前の話です。時代劇なら時代背景は自然だけがある場所を選べば分かりやすくて楽ですが、’70~80年は中途半端で表現が難しい。

 川崎の工場の中にある古い施設は、川崎市の有形文化遺産に登録された、木造モルタルの建物です。漆喰っぽい壁に机や棚を並べたら70~90年代の出版社っぽく見えました。この年代に合う建物を探すのが大変なんですよ

山梨県の山でも撮影されたそうですね。エヴェレストに行った後ですと、日本の登山は楽ですか?

 山梨は山岳映画でよく撮影に使われていて、自衛隊の訓練でも使われるようです。そこでは阿部寛さん演じる羽生丈二が日本の山でいろいろアクションをするシーンを撮りました。

 日本の登山も楽ではありませんでした。エヴェレストは下を見たら高すぎて何も見えないけど、日本の山は色々見える分だけ怖かったりしますね。長野県飯田市の冬山の撮影前は「日本の方も大変だよ」っていうのが合言葉でしたね。

今回の撮影スタッフは、馴染みのメンバーと新規メンバーどちらが多かったのでしょうか?

 初めてのスタッフが多かったですね。映画スタッフは山というものに素人ですから、山のプロ、山岳連盟の会長の八木原さんや世界的に有名なクライマーが参加してくださって僕らと一緒に山に登ってくれました。山に関していろいろなところでインタビューを受ける方ばかりで、そういう方たちの支えがあって撮影ができました。映画屋だけでは成立しなかったので、ものすごく感謝しています。

監督がスタッフに求めることは何ですか?

 僕はスタッフに、脚本をできるだけ読み込んでから打ち合わせをしてほしいと言っています。読み込み方が見当違いにならないように何度も話し合いをします。

 だから、ちょっとレトロっぽい感じがほしいとなって、川崎のあのロケ現場が選ばれたんです。

映画『エヴェレスト 神々の山嶺』の制作で意識されたことは何ですか?
映画『エヴェレスト 神々の山嶺』の制作で意識されたことは何ですか?

 8800mの世界をどう見せるかを突き詰めました。

 2年前からロケハンで2回3回とエヴェレストに行って、そのとき無事に帰って来られたから本番につながった、という感じです。エヴェレストに実際に行った時、「わかりづらい山だな」と思いました。山が大きすぎてある高さまでいかないと「これがエヴェレストだ」という全体の形が見えてこないんです。8000m級で撮影ができるかというと、映画のロケでは厳しいものがあります。できるだけ近い空気を画の中に持ってくるために、昨年3月に出演者、スタッフ、ポーターの総勢100人超のキャラバンで、エヴェレストの5200m地点まで登りました。4000mを超えると色がなくなるんです。岩だけのモノクロの世界。あとどうやって現地の音、その世界で吹く風の音を再現するのかというところが肝かなと思いました。

キャスティングは、体力的な面も考慮して決定したのですか?

 3人(岡田准一・阿部寛・尾野真千子)ともタフだろうとは思っていました。

 大きな荷物はポーターさんに預けますが、役者さんも自分の身の回りの荷物は持ちます。エヴェレストではまず、頼ろうっていう発想がダメですね。「水ちょうだい」じゃなくて、水も糖分も自分で確保する。だから、禁欲的になっていきますよ。実際、俳優さんも禁欲的で、プロの登山家の言うことにちゃんと従って、ワガママを言うこともありませんでした。それは当たり前のことだけれど、すごく大事なことだったと思います。

エヴェレストに登ってから撮影の10日間、宿泊や食事はどうされたのですか?

 エヴェレストでもロッジはあります。けれども、環境が良くない。世界で一番高いところにある、最後のロッジです。ロッジは何軒かあるんですが、そのうちの一軒を使いました。外は基本的に零下だし、ストーブの燃料の限界があるので、夜8時にはストーブが落ちます。そうするとやることないから全員、ひたすら寝袋の中で縮こまっていました。

 食事は、ネパールの地元の人たちが食べているものと同じ物ですね。ネパールは、カレーや豆のスープなど、香辛料の料理なのですが、時々気を遣ってもらって、日本風のカレーが出てきました。じゃがいもと人参と鶏肉など見た目は同じですが…でもなんか味が違いましたね。(笑)

エヴェレストでは1日どれぐらいの時間、撮影ができるのですか?

 天気が一番関係します。午前中は晴れていても午後は間違いなく曇る。朝の6時頃から動き出して、午後3時前には撮影が終わるという感じでした。撮影では天気を待つことがよくありますが、5,000~5,600mの場所での天気待ちというのは新鮮でしたね。晴れた方がもちろん撮影はできますが、晴れすぎると全部が合成に見えてしまうぐらい空気が澄んでいて、それもまた困るという(笑)、贅沢ですよね。撮影では、遠くにエヴェレストが見えるエヴェレスト街道といういいポジションがあるんですが、天気が良くてそこでは見事に撮影することができました。

登山に対して、何か大変なことはあったでしょうか?岡田さんや阿部さんのエヴェレストでの様子はどうでしたか?

 基本的に効率とか時間の節約とか考えると、俳優さんをヘリコプターでひょいっと運んでしまった方が良いのですが、それをやると一発で高山病になってしまいます。だから延々と全員歩きで登りました。

 もちろん、役者さんたちはカメラを向けて登っている時は登場人物として登っていますが、カメラ関係なく、役と本人の基本的なことがシンクロしている感じがしましたね。ドキュメントに近かったと思います。みんな本当に顔つきが変わりました。醸し出す雰囲気が都会とは全然違いました。

映画では山の素晴らしさを描き出すことが多いですが、危険もありますよね。特に意識して気をつけたことはありますか?

 過酷な環境で撮影をしなくてはいけないので、やっぱり臆病になることが第一かと思いますね。ちょっと動くにも慎重になることが大切でした。普段の撮影現場では「走れー!」なんていうこともありますが、山の上では走っちゃいけないんです。急いで動くことがダメで、帽子一つひょいっと飛んでも取りに行く気になれません

 それぐらい、危機感をもって仕事をしていたと思います。ネパールの言葉で「ビスタリ」っていう「ゆっくり」という意味の言葉があるんですが、撮影の基本はこれでしたね。

宮川(ピエール瀧)の務める岳遊社でのシーンは、時代設定をあわせるために神奈川県川崎市の工場がロケ地に選ばれたそうですね

 原作が1995~96年なので25,6年ほど前の話です。時代劇なら時代背景は自然だけがある場所を選べば分かりやすくて楽ですが、’70~80年は中途半端で表現が難しい。

 川崎の工場の中にある古い施設は、川崎市の有形文化遺産に登録された、木造モルタルの建物です。漆喰っぽい壁に机や棚を並べたら70~90年代の出版社っぽく見えました。この年代に合う建物を探すのが大変なんですよ

山梨県の山でも撮影されたそうですね。エヴェレストに行った後ですと、日本の登山は楽ですか?

 山梨は山岳映画でよく撮影に使われていて、自衛隊の訓練でも使われるようです。そこでは阿部寛さん演じる羽生丈二が日本の山でいろいろアクションをするシーンを撮りました。

 日本の登山も楽ではありませんでした。エヴェレストは下を見たら高すぎて何も見えないけど、日本の山は色々見える分だけ怖かったりしますね。長野県飯田市の冬山の撮影前は「日本の方も大変だよ」っていうのが合言葉でしたね。

今回の撮影スタッフは、馴染みのメンバーと新規メンバーどちらが多かったのでしょうか?

 初めてのスタッフが多かったですね。映画スタッフは山というものに素人ですから、山のプロ、山岳連盟の会長の八木原さんや世界的に有名なクライマーが参加してくださって僕らと一緒に山に登ってくれました。山に関していろいろなところでインタビューを受ける方ばかりで、そういう方たちの支えがあって撮影ができました。映画屋だけでは成立しなかったので、ものすごく感謝しています。

監督がスタッフに求めることは何ですか?

 僕はスタッフに、脚本をできるだけ読み込んでから打ち合わせをしてほしいと言っています。読み込み方が見当違いにならないように何度も話し合いをします。

 だから、ちょっとレトロっぽい感じがほしいとなって、川崎のあのロケ現場が選ばれたんです。

作品情報
『エヴェレスト 神々の 山嶺 いただき

(STORY)

1924年、エヴェレスト登攀で命を落としたイギリスの登山家ジョージ・マロリー。彼が人類史上初のエヴェレスト登頂に成功したか否か――。山岳カメラマン・深町(岡田准一)は、この山岳史上最大の謎を解き明かそうとある古いカメラの行方を追っていた。その過程で、彼はネパールの首都カトマンドゥで、日本で突然消息を絶っていた孤高のクライマー・羽生(阿部寛)が、この地にいることを知る。ある理由でエヴェレストに挑む羽生の生き方に引きこまれる深町。やがて彼は、羽生を追ってきた恋人・涼子(尾野真千子)と共にエヴェレストへ向かう。

 

監督:平山秀幸 原作:夢枕獏 脚本:加藤正人 音楽:加古隆

出演:岡田准一、阿部寛、尾野真千子、ピエール瀧、甲本雅裕、風間俊介、佐々木蔵之介

3月12日(土)より全国ロードショー

©2016 「エヴェレスト 神々の山嶺」製作委員会

 

平山秀幸(ひらやま・ひでゆき)

1950年生まれ。福岡県出身。日本大学芸術学部卒業。90年に監督デビュー。「学校の怪談」(95)、「OUT」(02)、「レディ・ジョーカー」(04)、「太平洋の奇跡 ‐フォックスと呼ばれた男‐」(11)などの話題作を手掛けている。98年に監督した「愛を乞うひと」では、日本アカデミー賞最優秀監督賞をはじめ国内外で69の映画賞に輝いている。

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